所在地:沖縄県浦添市
登城日:2026年4月
琉球国中山の歴史を伝える貴重な遺跡です。戦国末期の薩摩軍の侵攻で焼き討ちされ、太平洋戦争では激戦地となった要害の地です。琉球の旧首都といった感じです。眺望も素晴らしい。
魅力度ポイント


首里に移る前の琉球の中心地を感じさせる石畳など、歴史を感じるグスクです。
点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。
概略
浦添城は13世紀頃に築かれたと言われています。標高約130mの琉球石灰岩の丘陵上に位置し、東西約380m、南北約60mの広さで築かれ、北は急崖、南な緩斜面となっています。正殿を中心に、石積み城壁で囲まれていたと言われています。
王宮が首里城に移される前の舜天(しゅんてん)王統、英祖(えいそ)王統、察度(さっと)王統の居城として13世紀〜15世紀の約200年に渡り琉球国中山の歴史の舞台となったグスクです。王宮が首里に移った後、尚真王の長男である尚維衝(しょういこう)が浦添城に居住しました。その後、薩摩の琉球侵攻により城は焼き討ちされ廃城になりました。
太平洋戦争では、首里周辺の重要拠点として重視され、日本軍からは前田高地、アメリカ軍からはハクソー・リッジと称され、激しい争奪戦、攻防戦が繰り広げられました。この時の戦闘や戦後の採石で城壁が失われましたが、現在は浦添大公園として復元整備が進められています。
| 別名 | – |
| 城地種類 | 山城 |
| 築城年代 | 13世紀頃 |
| 築城主 | 不明 |
| 主な城主 | 第二尚氏 |
| 文化財史跡区分 | 国指定史跡 |
見どころ
縄張

浦添大公園南エントランス管理事務所に展示コーナーがあり、公園の案内図があります。純粋な城の縄張図ではないですが、浦添城へ訪れる前に見ておくと散策の役に立ちます。

その展示コーナーにあった立体模型です。浦添城について言えば、こちらが大いに参考になります。わかりやすいですね。
石畳道

城の南側には、城内に続く石畳の道があります。浦添出身の尚寧王が1597年に整備した石畳道です。

綺麗に敷き詰められています。往時と同じ道を歩いているようで気持ちがいいです。
城の南側

石畳道を道なりに進むとこのような感じの場所にたどり着きます。土が盛り上がって壁のようになっているので、往時は城壁があった場所のように思います。

石積みがありました!城壁の遺構っぽいですよね。

さらに城内に向かう階段の傍に石垣があります。復元されたものか遺構かは定かではありませんが、城壁の一部分を表しているように見えます。

ある程度登って振り返って見ています。緩い傾斜ですが、丘陵上に立地していることがよくわかります。
城内

階段を登りきると広い空間に出ます。城内に入ったと思われます。芝生が綺麗です。

目の前の木の近くに説明板があり、この辺が「殿(トゥン)」と呼ばれる村の祭りを行う場所だったそうです。

さらに城内の北の方まで行くと「正殿跡?」の説明板がありました。ハテナマークが付いているように確証はないようですが、正殿があったと思われる痕跡が発掘調査で見つかっているようです。

北側にある展望台の右側(城の東側)の方は、立入禁止ではなさそうでしたが、このように木々が生い茂っており、少し入ってみましたが奥が深そうだったので行くのをやめておきました。地図によると採石により地形が失われたエリアがこの辺のように思われます。

東側あたりから西の方を見て撮っています。かなり広いですよね。右に見切れているのは展望台で、アメリカ人と思われる人達がたむろってました・・。
城の北側

左に見切れているのが展望台です。ここからの眺めはとても良いです。北側は南側と違ってかなり急峻な崖になっています。

太平洋戦争当時、浦添城一帯の丘陵はアメリカ軍から「ハクソー・リッジ」、日本軍からは「前田高地」と呼ばれていたそうです。近代戦争時も要害の地だったということですね。

かなり高い所なので、眺望は素晴らしいです。海まで見渡せます。

北側の崖から城内の西の方を見ています。本丸というのが正しいかわかりませんが、頂上の平坦地はだいぶ広いです。

復元されたものかもしれませんが、城壁となっている石垣も見えます。
ディーグガマ

城内のやや西側にディーグガマと呼ばれている御嶽があります。鍾乳洞が陥没してできた窪地のようです。

階段を降りて、ディーグガマの内部に入ることができます。さらに奥には洞穴(ガマ)があるようですが、現在は落盤のおそれがあり、立入禁止になっています。
浦添家の屋敷跡?

ディーグガマの北側に浦添家の屋敷跡?があります。説明板でもハテナマークが付いているように、おそらく尚氏の屋敷跡だと考えられています。

地面をよく見てみるとかなりの量の敷石があるようですので、屋敷跡であったことはほぼ間違いないのでしょう。
北西の城壁

城内の道なりに沿って進むと石垣の城壁があります。

道の西側の城壁です。

こちらは道の東側の城壁です。

城壁沿いに東へ進むと石垣は続いています。保護のため柵が設けられています。

これらの城壁は発掘調査の成果に基づいた整備により復元されたものです。戦後の採石により城壁の石材は持ち出され、城壁はほとんど残っていなかったようです。
よくぞ復元してくれました、素晴らしいですね。

城の外から見ています。道が通っているので、一見するとここに門があったように思えますが、おそらく門などなく、ずっと石垣が連なっていたと思われます。この道は後世のものだと思われます。

少し離れて見ています。石垣の麓の洞穴は昔の前田高地壕の跡だそうです。

こう見てみると、自然の岩石を活かして城壁が築かれていたように思えます。沖縄のグスクではよく見かける感じですね。
アクセス
公共交通機関だとバスになると思われます。沖縄なので車で行くのがおすすめです。
浦添大公園南エントランスに無料駐車場があります。城の南側にあり、散策にもちょうど良いのでおすすめです。また、南エントランス展示室に浦添城の立体模型や展示物などがありますので、登城する前にぜひとも寄って行かれるといいと思います。

展示室にの壁に案内が貼ってありましたが、駐車場のそばの階段を上がっていくと浦添城へ行くことができます。
周辺スポット
浦添ようどれ

浦添城の北西の城壁を貫いている道を西に進んでいくと分岐があり、そこにこの浦添ようどれの案内板があります。ここを右に曲がると浦添ようどれになります。
浦添ようどれは周辺スポットとして紹介していますが、場所も城の北側の崖下にありますし、城と関係性が高いので、もはや浦添城の一部と言っても過言ではありません。浦添城を訪れた際は是非こちらも見学してみてください。

案内板から進むと、まるで洞窟のような入り口が待っています。

階段を下っていく感じになります。

下り終えるあたりに看板が立っています。道の向こうに見えている石垣が浦添ようどれです。

この先が浦添ようどれです。浦添ようどれは琉球王国初期の王陵で、13世紀頃に英祖王が築いたと言われています。その後、1620年に浦添出身の尚寧王が改修し、王自身もここに葬られました。

岩に挟まれた細い道を通っていきます。

このあたりは「暗しん御門」(くらしんうじょう)と呼ばれていて、往時はトンネル状だったようです。戦争によって上部の屋根となっていた岩が崩れたようで、今は天井はありません。

王陵のあるエリアに入る門です。門の前のこの区画が二番庭と呼ばれています。

二番庭の門を潜ると行き止まりのスペースになっていて、ここが王陵になります。行き止まりの先の箇所が一番庭と呼ばれていて、その手前右側に2つお墓があります。太平洋戦争や戦後の採石で浦添ようどれは徹底的に破壊されてしまったようですが、2005年に戦前の荘厳な姿に復元されています。

手前のお墓が西室(英祖王陵)です。

奥のお墓が東室(尚寧王陵)で、尚寧王と彼の一族が葬られています。

奥の方から逆に入口の方を見ています。「ようどれ」とは琉球語で「夕凪」を表すそうです。お墓に付ける名前としてはなんとも風流で涼しげな感じがして良いですね。

