備中高松城

登城記
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続日本100名城
所在地:岡山県岡山市

登城日:2026年6月

 豊臣秀吉による有名な水攻めがあった城。沼地の雰囲気は周囲の蓮池などから今も感じることができます。清水宗治の遺構も数多く残っていて、戦いの歴史の一端が覗ける城です。

魅力度ポイント

 低い土地ですが、周囲の沼をうまく活用し、防御力を高めた城。そのような雰囲気を今も感じつつ、清水宗治の無念さ、武士の意地のようなものにも触れることができます。

点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。

概略

 備中高松城は、築城時期ははっきりしないようで、永禄年間(1558〜70年)に、備中一円を治めていた三村氏の命で家臣である石川氏が築城したと言われています。石川氏が三村氏と共に毛利氏に滅ぼされた後は清水宗治が城主となったようです。

 城は足守川流域の湿地地帯に築かれ、最高所に本丸が置かれています。本丸の南東に二の丸、三の丸が配置され、これらの3つの曲輪の東側に家中屋敷が置かれた曲輪がありました。形式は梯郭式の平城で、石垣はなく、土塁で構成され、城の周囲の低湿地帯が天然の堀となっていました。

 1582年(天正10年)、織田家の家臣であった羽柴秀吉は中国攻めを任され、4月には備中高松城攻めが開始されました。城は周囲を沼地に囲まれ難攻不落でしたが、かの有名な高松城水攻めにより水没。清水宗治の切腹により和議が成立しました。その後、秀吉は本能寺の変で死んだ織田信長の仇を討つべく、中国大返しを行い、明智光秀と決戦し、これを破っています。

 その後、宇喜多家の家臣の花房氏が城主となるが、江戸時代の一国一城令で廃城になったようです。現在は、城の痕跡はわずかに残るのみですが、高松城址公園として整備されています。公園内には、清水宗治の首塚があり、周辺には自刃の碑や胴塚があります。

別名-   
城地種類平城
築城年代16世紀後半頃
築城主石川氏
主な城主石川氏、清水氏、花房氏   
文化財史跡区分 国指定史跡

見どころ

縄張

縄張図

 備中高松城址資料館にあった案内図の一部です。現在の地図に重ね合わせるように表現されており、縄張としてわかりやすいと思います。緑の点線が城の曲輪を表しています。本丸、二の丸、三の丸が北から南へ並んでおり、その東側を家中屋敷曲輪が半分囲むように配置されています。

舟橋

舟橋跡

 備中高松駅から備中高松城へ向かう道の途中に舟橋があります。正確には舟橋跡だと思いますが、このあたりが三の丸の南側の要所で、堀に川舟を並べて舟橋とし、城外と繋がっていたと考えられています。

史跡ふなはし

 堀の跡なのか、今でも川があります。城の面影はないですが、ここが三の丸と城外の境目だったと思われます。

三の丸

三の丸跡の説明板

 備中高松城は南から北に向かって曲輪が縦に並んでいます。最も南側が三の丸で、この説明板や妙玄寺がある場所が三の丸跡だと思われます。

三の丸跡

 このあたりですが、城の痕跡はほとんど分かりませんでした。上はこの辺の写真ですが、土の盛り上がりなどは城の遺構というよりも公園として整備されたもののように思います。

二の丸

二の丸跡の案内板

 二の丸跡の案内板です。本丸と三の丸の間に位置しています。

二の丸跡

 二の丸があったと思われる場所の現在の様子です。今は田んぼとして利用されているようです。

本丸

本丸と二の丸の間の橋

 二の丸と本丸の間には橋がかかっています。二の丸側から橋と本丸を見ています。

本丸跡の案内板

 本丸には二の丸や三の丸と同様に案内板が立っていました。

本丸内

 本丸は割と広い面積で、住居や田畑はなく、最も遺構が残っていそうな感じです。

本丸西側

 本丸内から西側を見ています。堀のように見えるのは公園の蓮池です。ですが、往時もあの辺りが堀か沼地であったと想像します。

本丸内から見た二の丸方面

 本丸の西の端から振り返って二の丸方面を見ています。さすがに本丸です、周囲より一段高くなっています!橋の右側が二の丸跡です。

本丸北側の橋

 北側にも橋があります。今は蓮池を越えて駐車場と繋がっている橋です。

北側から見る本丸

 北側の橋を渡って、振り返って本丸を見ています。堀跡のような痕跡があります。往時はきっとこの辺りも堀か沼地だったのでしょう。

外(西側)から見る本丸

 北側の橋を渡って、左にぐるっと回ると左手に本丸が見渡せます。やはり本丸だけ高くなっていますね。

本丸

 西側からもっと寄って見た本丸です。他の曲輪が平坦なので、本丸は高く見えます。元々地形的に本丸周辺は高さがある土地だったんでしょうね。

本丸と蓮池

 本丸と蓮池です。今の蓮池が本丸の西側の沼地か堀であったと思われます。しかも往時はもっと西に沼地が広がっていたのだと思います。そうなるとやはり城攻めは難しいですよね。

高松城水攻め

高さ表示板

 城の遺構ではないですが、あまりにも有名な高松城水攻めに関する展示は数多くあります。こちらは三の丸跡の駐車場付近にある本丸と築堤の高さを表した表示です。築堤が本丸よりも高いことが視覚的にわかって、これは水に浸かるわな・・と思ってしまいます。

水攻めのジオラマ

 こちらは備中高松城址資料館に展示されている水攻め時のジオラマです。実際のイメージがつきやすいです。

大雨の時の写真

 こちらは1985年の大雨の時の写真です。この写真も備中高松城址資料館に展示されています。下が平常時、上が大雨の時で、同じ視点から撮られたものと思われます。本丸と三の丸の一部以外は水没しています。往時の水攻めと似たような状況が20世紀に発生したということですね。かつての様子がリアルによく分かります。やはり相対的に低い立地なんですね。

清水宗治の遺構

清水宗治供養塔

 城そのものではないですが、備中高松城といえば清水宗治ですね。水攻めの結果、城兵の命と引き換えにして和睦を結ぶため、切腹しています。三の丸跡にある妙玄寺が自刃した場所と伝わっており、境内には供養塔が建てられています。

ごうやぶ遺跡

 その妙玄寺から見える場所にごうやぶ遺跡があります。清水宗治を追って、家臣同士が互いに刺し違えて殉死したと伝わっており、その場所がごうやぶ遺跡と呼ばれています。写真右側に田畑の中に藪のように木が密集している場所があるのがわかると思いますが、そこがごうやぶ遺跡です。

辞世の句の石碑

 清水宗治の辞世の句の石碑が本丸跡にあります。
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」
句の良し悪しは分かりませんが、武士の魂や悔しさといったものが迫ってくる感じがします。

首塚

 こちらは清水宗治の首塚で、本丸跡にあります。「清水宗治」の赤いのぼりが立っています。

胴塚の案内板

 清水宗治の胴塚もあります。本丸の北の住宅街の中にありました。写真のような案内が出ています。

胴塚

 住宅の合間に胴塚があります。近隣住民の方が手入れされているのか綺麗に清掃されており、この地では清水宗治が大事にされているんだなと感じました。素晴らしいですね。

高松城址公園

高松城址公園

 城の遺構ではないですが、高松城址公園の様子です。往時の城の周囲の沼地を想像させる池などがあり、散策するのに気持ちのいい場所となっています。こちらは三の丸の西側にある池です。川に見えますが城跡の西側一帯に整備されている池だと思います。

二の丸西側の池

 こちらは二の丸の西側にある池です。池の上を歩いて見物できる遊歩道のようなものも整備されています。

宗治蓮

 本丸と二の丸の間くらいに蓮池があります。沼の復元をした際に、地下に眠っていた蓮が400年ぶりに再び花をつけたそうです。宗治蓮と名付けられたと思われます。ロマンのあるエピソードですね!

蓮池

 その蓮池を西側から見ています。蓮の花が咲く季節にまた来たいと思いました。

アクセス

・JR吉備線「備中高松駅」から徒歩約10分
・無料駐車場もあります

スタンプ設置場所

 備中高松城の続日本100名城スタンプは、下記に設置されています。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)

備中高松城址資料館

二の丸跡にあります。

備中高松城址資料館
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