続日本100名城
所在地:静岡県沼津市
登城日:2018年11月
広いスペースが取られれている二の丸、本丸の先に、圧倒的に巨大な大土塁があります。さらにその先には深く幅広い大空堀が。迫力ある土塁と空堀は見応えあります。
魅力度ポイント


圧倒的な迫力の土塁と空堀は威圧感が充分です。土の城のダイナミックさを感じることができます。
点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。
概略
興国寺城は、正確な築城年代が定かではないですが、1487年(長享元年)に、今川氏の客将であった伊勢盛時(北条早雲)が本拠地にした城と言われています。その後、伊豆の韮山に移るまで北条早雲の本拠地であったと言われています。戦国時代は、興国寺城のある東駿河を巡って、北条氏、今川氏、武田氏が争っていたため、城主は目まぐるしく変わったと思われます。
1582年(天正10年)、武田氏が滅亡すると徳川氏の領地となり、徳川家康が関東へ入封すると中村氏が所領としました。1601年(慶長6年)、天野康景が1万石で入封し興国寺藩を立藩しますが、その後出奔。1607年(慶長12年)に城は廃城となりました。
城は愛鷹山南麓の舌状台地の先端部に築かれています。北側から、北曲輪、伝天守台、本丸、二の丸、三の丸と直線的に並んだ連郭式の城です。東側には清水曲輪と呼ばれる曲輪が配されています。本丸と北曲輪の間には大規模な空堀があり、今も残っています。二の丸や三の丸にも土塁や空堀があったようですが、崩され埋められてしまっているようです。
| 別名 | 杜若城、根古屋城 |
| 城地種類 | 平山城 |
| 築城年代 | 不明 |
| 築城主 | 不明 |
| 主な城主 | 北条氏、今川氏、武田氏、徳川氏、中村氏、天野氏 |
| 文化財史跡区分 | 国指定史跡 |
見どころ
縄張

城にあった案内板に縄張図と空撮した画像が貼られていました。本丸、二の丸、三の丸が南北に連なり、土塁と空堀で囲まれていたようです。往時は、東側や南側は沼地や池となっていたようです。
三の丸

興国寺城の駐車場の脇にある一本道(写真のこの道路)が本丸へと続いています。道は他にないですし、目の前が開けていて、本丸まで見通せるため迷うことはないと思います。駐車場付近が三の丸と思われます。それらしい土塁の跡はありそうですが、、あまり遺構らしい遺構は見当たりません。

道を進んでいくとまずは二の丸です。目の前に見えている空間が二の丸だと思います。
二の丸

道の左側に広がっている領域が二の丸です。その先で一段高くなっている領域が本丸です。二の丸の西側には土塁の跡も見られます。往時は本丸と二の丸の間にも空堀があったようです。

こちらは道の右側です。ここも二の丸の領域だと思います。東側の端には土塁の跡らしき雰囲気も見てとれます。
本丸

道を進んでいくと本丸に辿り着きます。このあたりはもう本丸の領域です。

道の突き当たりが本丸と大土塁です。本丸の北側にそびえ立っている土塁は大土塁と呼ばれているようです。確かにすごく高くて威圧感があります。

本丸の北西隅のあたりを見ています。北と西は高い土塁に囲まれています。

本丸の西側も北側ほど高くはないですが、土塁が残っています。

本丸から南側を見ています。もっと空が澄んでいたら、市街地の先に駿河湾まで見えていたかもしれません。

本丸内の最も北側、大土塁際に穂見神社があります。

後世に創建された神社だと思われます。

穂見神社の横に、初代城主である北条早雲の石碑がありました。

そしてさらにその隣に天野康景のものと思われる石碑がありました。なぜ天野康景なんでしょうか、最後の城主だから?でしょうか。最初と最後の城主の石碑を建てたのかもしれませんね。
大土塁

土塁には登ることができます!穂見神社の脇に階段があります。

途中に別れ道があり、左の方に進むと天守台の石垣を間近で見ることができます。

ちょうど階段を上がったあたりから南の方を見ています。高いです!二の丸の方にすこし伸びている土塁です。

土塁の上から穂見神社を見下ろしています。眺めはいいです。

土塁のてっぺんには道があり、西の方まで歩いて行くことができます。

土塁の西の端の方から本丸を見ています。城を見渡すことができます。やはりかなり高さを感じます。本丸も二の丸もかなり広い方だと思います。

西の方から逆に東側を見ています。土塁の中ほどに天守台の石垣があります。

土塁の上から見下ろす大空堀です。土塁の北側に幅広く、深い空堀があります。

写真ではなかなか伝わりづらいですが、相当深いです。土塁の上から見るとなおさらです。

空堀を挟んで、北側には北曲輪があります。空堀の底から登る階段も見えます。
伝天守台

土塁の途中に石垣があります。天守台の石垣だと伝えられています。

この石垣の上に天守台があったと想定されていますが、瓦の出土が見られないため、近世城郭のような天守ではなかったと考えられています。

石垣は北条早雲の時代ではなく、関ヶ原の戦いの前後あたりに築かれたのではないかと思います。

土塁の上の最も高い場所あたりに天守台のスペースがあります。

それなりのスペースであり、2棟の礎石建物跡が見つかっているようです。ここからさらに櫓のような建物があって、その上からだと眺望は相当良かったのではないかと思います。東海道がバッチリ監視できますね。そういう意味でも要所にある重要な城ですね。
大空堀

続いては、土塁から降りて大空堀に行ってみたいと思います。大空堀には本丸の東側の土塁をぐるっと外から回り込む感じで行くことができます。こちらは右に見えているのが本丸の大土塁です。空堀に至る道に入ってしばらくしてから振り返って見ています。

そうすると、まさに空堀の間(空堀の底)に辿り着きます。左が本丸、右が北曲輪です。いや〜深いです。

少し振り返ると大土塁がそびえたっています。もう壁ですね。とても登れそうにありません。

堀はぐねぐねと曲がっているので、堀底の道も曲がって進みます。

どんどん進んでいくと西側に突き抜けます。ずっと深い谷のようになっています。途中に数個の穴がありました。

何の穴かはわかりません。昔の防空壕だったのでしょうか・・、2つほど見かけました。

突き進んでいくと、ついに城の外に出ました。写真真ん中あたりに茂みが穴のように見えているところまでが大空堀です。
北曲輪

大空堀の底から階段が付いていて、北曲輪まで登れます。ここが登った所ですが、かなり草が繁茂していてその先に進むのは難しそうです。北曲輪の北側は削られて東海道新幹線が走っています。

北曲輪から本丸の大土塁を見ています。やっぱり大土塁のデカさには圧倒されます。
アクセス
公共交通機関だと、電車の駅から歩くのは遠いため、バスになると思われます。すこし面倒だと思いますので、車で行くのがおすすめです。
車の場合は、無料駐車場が城の三の丸跡にあります。

舗装されておりませんが、スペースは広く、問題なく停められます。
スタンプ設置場所
興国寺城の続日本100名城スタンプは、下記に設置されています。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)
・興国寺城本丸穂見神社境内
・沼津市文化財センター
・浮島地区センター
興国寺城本丸に設置してあるスタンプはいつでも利用可能です。
「沼津市文化財センター」「浮島地区センター」は、開館時間、休館日にご注意ください。

神社境内の案内板の横に設置してあるふた付きの箱の中にスタンプが入っています。使用した後は必ず箱の中に戻してふたを閉めましょう。

