大和郡山城

登城記
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続日本100名城
所在地:奈良県大和郡山市

登城日:2022年4月

 豊臣秀長による城の整備が見られる。天守台、天守曲輪の石垣、堀は見事、さかさ地蔵などの珍しい転用石もあります。復元された追手門極楽橋も見応えあります。天守台からの景色も最高。

魅力度ポイント

 城の周辺の堀、中心部の石垣や堀、復元された建造物を見て、さらに天守台からの景色を眺めると、とても良い城巡りになると思います。

点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。

概略

 郡山城は、1580年(天正8年)に、筒井順慶によって築城が始まったと言われています。1585年(天正11年)に、豊臣秀吉の弟秀長が100万石で入封すると、石高にふさわしい城に整備されていきます。奈良は良質な石材が乏しいため、墓石や石地蔵などの転用石が石垣に使用されました。この時代に、本丸や毘沙門郭などが出来たようです。秀長亡き後、養子の秀保も1595年に死去。その後、増田長盛が約20万石で入封し、外堀を整備、城郭の規模が定まったとされています。1615年(元和元年)の大坂夏の陣の後は、徳川譜代大名の水野勝成、松平氏、柳澤氏が城主を務め、明治維新に至っています。

 城は西ノ京丘陵の南端付近に築かれている平山城です。本丸周囲を二の丸が取り巻き、三の丸が二の丸の東西に配置されています。現在は天守はありませんが、天守台のある天守郭、その東側の毘沙門郭などが石垣、堀と共に遺構として残っています。また、追手門などの一部の門や櫓が復元されています。現在は、郡山城跡公園として整備されており、約600本の桜が植えられ、桜の名所にもなっています。

別名雁陣之城   
城地種類平山城
築城年代天正8年(1580年)   
築城主筒井順慶
主な城主筒井氏、豊臣氏、水野氏、松平氏、柳澤氏   
文化財史跡区分 国指定史跡

見どころ

頰當門跡/三の丸跡

頰當門跡

 大和郡山城の東南、三の丸の出入口だったと思われる門が頰當門(ほおあてもん)です。大和郡山市役所の正面に向かってやや左側にあります。この石垣が残っていることで、この辺りも主要な城域だったと想像できます。

三ノ丸緑地

 三の丸の跡と思われる場所の一部は現在は緑地になっているようです。城の遺構かどうか定かではありませんが、土塁っぽい盛り上がりがあります。

中堀/鉄御門跡

中堀

 木が覆っていてうまく撮れていませんが、見えている水堀が中堀です。左の石垣は鉄御門跡の石垣です。陣甫曲輪(じんぽくるわ)の東側にある堀になります。

鉄御門跡

 二の丸に入る際に通ると思われるのが鉄御門です。現在は近鉄橿原線を越えると見えてきます。立派な石垣が残っていますね〜、素晴らしいです。鉄御門から入ると正面が二の丸跡、右側が陣甫曲輪になります。

内堀

内堀(東南隅)

 鉄御門跡を通ると見えてくる水堀が内堀です。毘沙門曲輪陣甫曲輪の間の堀になります。水堀の向こうに見えているのが毘沙門曲輪跡の石垣です。これもまた立派な石垣で構築されています。

内堀(南から見る)

 南側から見た内堀です。右の奥の方に見えている櫓が復元された追手東隅櫓です。

堀際のつつじ

 内堀沿いにはちょうど季節的につつじが綺麗に咲いていました。つつじの向こうに見える櫓は追手向櫓です。

追手向櫓/追手門

追手向櫓/追手門

 内堀に沿って北に進むと、毘沙門曲輪跡の入り口である追手門が見えてきます。右が追手門で、左の櫓が追手向櫓です。追手向櫓は1987年(昭和62年)に再建されています。

追手向櫓の石垣と多聞櫓

 追手向櫓と追手門の間には多聞櫓があり、こちらも追手向櫓と同時期に再建されたようです。追手向櫓、多聞櫓、追手門で三方が囲まれた枡形が形成されているため、堅固な守りになっていたことが想像されます。

追手門

 追手門は1983年(昭和58年)に再建されたようです。門構えが渋くてカッコイイですね!

毘沙門曲輪跡

天守曲輪と天守台

 追手門を潜って毘沙門曲輪に入ってすこし進むと、堀を挟んで天守曲輪天守台が見えてきます。う〜ん、いい石垣ですね。

カフェ

 毘沙門曲輪跡にはカフェもあります。テラス席からは天守台や堀が望めそうなので、一服するには最高のロケーションです。城跡で飲むコーヒーもいいですね!

両面石仏

 両面石仏と呼ばれる石材が展示されていました。本丸石垣から出土したようです。石垣の転用石と見られています。全国的にも珍しい作例のようですので、お賽銭を石の上に置いていく人もいるようです。

柳澤文庫

柳澤文庫

 毘沙門曲輪跡の南側には柳澤文庫と呼ばれる地方史誌専門図書館があります。郡山藩の旧藩主である柳澤家から寄贈された資料や古文書、古典や地域に関連する資料を数多く所蔵しています。

極楽橋

極楽橋

 毘沙門曲輪と天守曲輪の間に架けられている橋が極楽橋です。2021年に再建されています。

極楽橋(北側から見る)

 北から見た極楽橋です。右側が天守曲輪です。

極楽橋(南側から見る)

 こちらは南から見た極楽橋です。左側が天守曲輪になります。橋脚が木造っぽくて城跡とマッチしています。欄干の赤も周りの緑に映えています。ちょうど橋の真横から見えるこのポジションから是非見てみてください。橋の全体と石垣、堀が一望できていいですよ!

天守曲輪(石垣と堀)

南東の石垣と堀

 天守曲輪(いわゆる本丸)の南端、東側にある石垣です。石垣と堀に生えている草が古びた感じを醸し出していて良いです。極楽橋よりも南側です。

東側の石垣と堀

 こちらは天守曲輪の東側の石垣です。極楽橋より北です。こちらも苔むした感じがいかにも古城を思わせてくれるようで趣深いです。石垣もかなり高さがあります。

天守曲輪の東北側

 天守曲輪から毘沙門曲輪を見ています。この日は水が少し枯れているのか、水堀の水深は浅そうです。手前に見えているのは天守曲輪の石垣で、隅には月見櫓があったと言われています。テラス席が見えている所がカフェになっています。その奥には追手門の一画も見えます。

天守曲輪から毘沙門曲輪を見る

 さらに天守曲輪の北端から毘沙門曲輪を望んでいます。堀幅も結構ありますし、毘沙門曲輪も石垣が積まれていて、やはり城の中心部だけに防御は固そうです。

西側の石垣と堀

 天守曲輪の西側も石垣が高く、堀幅が広くて、防御力高いです。

竹林門跡

竹林門跡

 天守曲輪の南端で、二の丸と接続していたのが竹林橋でそこにあった門が竹林門です。両脇に石垣が積み上がっており、かなり堅固な門だったと想像します。

竹林橋から見る天守曲輪の石垣と水堀

 竹林橋は土橋となっています。天守曲輪に入るには、この竹林橋か極楽橋の2つのルートしかなかったように見えます。

天守台

天守台
天守台(南東から見る)

 天守曲輪の北側に天守台があります。大きく2つの段があり、南側が一段下がっています。

天守台(北西から見る)

 野面積みで荒々しい石垣です。周辺の寺院等から石を集めたと言われており、多くの転用石が見られます。

さかさ地蔵
さかさ地蔵

 天守台の北面には「さかさ地蔵」と言われている石があります。わかりますかね?奥が顔になっていて下向きに積まれています。転用石は他の城の石垣でも見られますが、はっきりとお地蔵さんが逆さまになって積まれている石垣は他ではないかもしれません。

天守台からの眺望
天守台の礎石

 天守台の上には礎石の跡があります。大和郡山城には天守が存在したのか問題があったようですが、2017年までの発掘調査でこのような礎石が確認され、天守が存在していたことが判明したそうです。

北側の眺望

 北側は堀とその向こうの常磐曲輪が一望できます。

東側の眺望

 東を見ると、毘沙門曲輪や追手門が一望でき、さらに奈良公園方面を見ると、東大寺興福寺も見渡せます。若草山は木がなく青々としているのでわかりやすいですね。天守台から見る景色は眺めが最高で素晴らしいです!

アクセス

・近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から徒歩約10分
・JR大和路線「郡山駅」から徒歩約15分

スタンプ設置場所

 大和郡山城の続日本100名城スタンプは、下記に設置されています。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)

・柳澤文庫

見どころで紹介した通り、毘沙門曲輪内にあります。休館日や開館時間がありますが、受付前に設置されていますので、休館時でもスタンプは利用できそうです。

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