山形城

登城記

日本100名城
所在地:山形県山形市

登城日:2017年7月

 全国屈指の規模を持つ東北最大の広さの城。本丸・二ノ丸の土塁・石垣・堀や復原された本丸一文字門と一文字門の石垣・大手橋、二ノ丸東大手門などが見どころです。

魅力度ポイント

 二ノ丸大手門、本丸一文字門を中心に、堀や石垣を見てまわると良いと思います。散策しやすいです。

点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。

概略

 山形城は、羽州探題として山形に入った斯波兼頼(しばかねより)(最上氏初代)が1357年(延文2年)に築城したことに始まり、その後、最上氏第11代の最上義光(よしあき)(1546~1614)によって現在の原型となる城郭の整備が行われました。1622年(元和8年)、最上氏が改易された後、鳥居忠政が城主になり、現在残っている二ノ丸の堀や土塁・石垣は鳥居氏による改修と伝えられています。以降は、保科氏(会津松平氏)、松平氏と続き、徳川譜代大名が入りましたが、かつて「最上家57万石」を誇った山形藩は、幕末の頃には5万石まで減少し、大城郭であった山形城の維持は困難になり荒廃していったようです。

 明治になると、二ノ丸、三ノ丸の建物は全て壊され、1896年(明治29年)には陸軍歩兵第三十二連隊が入営した。 戦後、二ノ丸の内側は霞城公園(かじょうこうえん)として整備され、二ノ丸の外側は市街地化が進み、三ノ丸の堀は埋め立てられた。昭和59年には霞城公園整備計画が策定され、復原や整備が進められています。

 縄張は、ほぼ正方形の本丸を中心に二ノ丸三ノ丸が同心円上に配置され、三重の堀と土塁で囲まれた輪郭式の平城です。当時の城は南北2.1km、東西1.6kmの規模を誇ります(平面規模では全国第5位)。本丸は御殿のみで天守は築かれていない。霞城公園を取り囲む水堀は、二ノ丸の堀として残っています。本丸一文字門二ノ丸東大手門などが復原されています。

別名霞ヶ城、霞城
城地種類平城
築城年代延文2年(1357年)、文禄元年(1592年)、元和9年(1623年)   
築城主斯波兼頼、最上義光、鳥居忠政
主な城主斯波氏、最上氏、鳥居氏、保科氏、松平氏、他
文化財史跡区分 国指定史跡

見どころ

霞城セントラルから山形城を一望

山形城内の山形県体育館付近から見る霞城セントラル

 霞城セントラルとはJR山形駅前にある官民複合型高層ビルです。山形市内の建築物では最も高く、ランドマークとなっています。山形城の遺構とは何の関係もありませんが、このビルの最上階の展望ロビーから山形城が一望できます!なので、1つの見どころとして紹介したいと思います。

霞城セントラル最上階展望ロビーから見る山形城

 写真では窓ガラスに少し反射して見にくい部分がありますが、展望ロビーからは山形城の全体が一望できます。緑に囲まれている領域が山形城(霞城公園)です。高い所から城全体を見渡せるところはなかなかありません。五稜郭タワーは有名ですが、他の城でこのような所があるのはあまり聞いたことがありません。

望遠で撮った本丸と南大手門

 本丸跡南大手門跡、二ノ丸の水堀などがよく見えます。かすかに本丸一文字門も見えます。

望遠で撮った東大手門

 二ノ丸東大手門も緑の中に見えます。堀に沿って走っている山形新幹線の線路もよく見えますね。

展望ロビーの窓と窓から見た山形城

 展望ロビーの窓はこんな感じになっています。眼下に山形城が一望できますので、ぜひ霞城セントラルを訪れてみてはいかがでしょうか。展望ロビーは無料で入れます。

二ノ丸南大手門跡

城外から見た二ノ丸南大手門跡

 山形城の二ノ丸には南と東に大手門があったようで、こちらは二ノ丸の南側にある大手門跡です。

南大手門西側の石垣
南大手門東側の石垣

 南大手門の両側はがっちりと石垣で固められています。

南大手門西側の水堀
南大手門東側の水堀

 南大手門付近の水堀です。二ノ丸を囲んでいる水堀になります。両側とも途中から石垣ではなく土塁となっていますが、南大手門の橋に横矢をかけるために張り出した横矢掛があることがわかります。防御力の高さが伺えます。

二ノ丸(城内)から見た南大手門跡

 南大手門は内枡形虎口になっているようです。枡形の部分まで石垣で構成されているようです。

二ノ丸東大手門

城外から見た二ノ丸東大手門

 山形城の二ノ丸の東側に位置する二ノ丸東大手門です。正面玄関ともいうべき重要な門です。高麗門、櫓門、続櫓、北櫓、土塀内枡形を形成しています。江戸時代中期の資料を元に復原されています。
 江戸時代初期は、「外枡形」になっていたようですが、改修、拡張があって「内枡形」に変えられたようです。戦乱から太平の世に変わる中で、藩主の威厳を示すように門の役割が変化していったと考えられています。まさに正面玄関にふさわしい威厳のある立派な門ですね。

東大手門北側の水堀
東大手門南側の水堀

 東大手門付近の水堀です。北側の堀を見てみると、南大手門と同様に横矢掛のようになっていることがわかります。門付近のみが石垣で、あとは土塁となっているものの、横矢をかけられる防御力の高い縄張をしていたことがわかります。

東大手門の高麗門

 城外から見て東大手門の正面出入口が高麗門です。近世城郭の枡形門の典型的な形状です。

東大手門の続櫓

 城外から見て左側(南側)に櫓門があり、堀と平行に建っているのが続櫓です。

東大手門の北櫓

 城外から見て右側(北側)にあるのが北櫓です。

東大手門の櫓門

 東大手門の櫓門です。内枡形内から見ています。城外から入っていくと左側にあります。かなり立派な櫓門です。

東大手門の枡形内から北側を見る

 入って右側(北側)を見ると、北櫓と石垣、土塀があります。正面も石垣と土塀です。近世になって作り変えられたということで枡形は結構広いです。

城内から見た東大手門

 城内(二ノ丸側)から見た東大手門です。真ん中に見えているのが櫓門で、左が枡形を囲っている土塀、右が続櫓です。

東大手門の土塀

 城内(二ノ丸側)から見た東大手門の枡形を囲っている土塀です(東大手門を入って正面に見えていた土塀)。城の塀によくある「アレ」がないです。そう、「狭間」がないんです。明治初期に撮影された写真には狭間が写っていなかったそうです。ですので復原の際に狭間は設けられなかったということです。忠実に復原されてますね。それにしても、江戸時代中期にはもう狭間は不要だったということなんですね、、

櫓門・続櫓の内部

 櫓門と続櫓の内部は一般公開されていて、見学することができます。資料や遺物が展示されており、石落としも見ることができます。

最上義光の像

 東大手門から城内(二ノ丸)に入ってすぐの所に最上義光像があります。馬上で躍動感があります。馬の後ろ脚2本だけで立つ像というのは作るのが難しいらしく、技術力の高さを示しています。

本丸一文字門

本丸一文字門

 二ノ丸南大手門、東大手門のどちらから入っても、真っ直ぐ進んだ先に本丸があります。本丸には2つの出入口があり、大手にあたるのが本丸一文字門です。本丸の南側にあり、外枡形になっていて、高麗門、一文字櫓、櫓門、土塀で構成されています。二ノ丸の2つの大手門は内枡形でしたが、本丸の一文字門は外枡形になっていて、山形城で外枡形はここだけだということです。

 大手橋、高麗門、土塀、石垣が絵図や発掘調査の結果等に基づき復原されています。高麗門を通り右折すると櫓門一文字櫓があり、本丸に入れます。その一文字櫓ですが、復原事業は計画されているものの、当時の写真や資料などがなく、残念ですが現時点では復原は難しいということです。

本丸一文字門の大手橋

 大手橋は本丸の発掘調査や絵図などに基づいて復原されています。できるだけ史実に沿った復原ということで杉や松などの木材が使われているそうです。

本丸一文字門の高麗門

 大手橋を渡ると高麗門です。高麗門をくぐると石垣、土塀に囲まれた枡形に入ります。本丸はさらに枡形に入って右折した先になります。

本丸一文字門の枡形内部

 枡形に入ると正面と左側は土塀で囲まれています。右に曲がると櫓門跡を通って本丸になります。二ノ丸東大手門と異なり、本丸一文字門の土塀には狭間を設けて復原されています。こちらは詳細な資料がなかったため、一般的な狭間がある土塀で復原したということです。

本丸一文字門の石垣(南側)

 本丸一文字門の枡形を堀を挟んで南側から見ています。石垣も復原されたもので、最下部から高さ6〜7mまでは発掘調査によって発見された残存石垣を積み直したものです。そこから上は新しく積んで復原したということです。石垣全体の高さが13mくらいなので、半分は崩壊しており新たに積んだということですね。大変な復原作業です。

本丸一文字門の石垣(東側)

 本丸一文字門の東側の石垣です。写真左側の一段高いのが枡形の櫓門の石垣で、その右に見えている上部が土塁になっている石垣(櫓門の石垣の北の石垣)は、古図にも描かれていない石垣だったようです。

崩落石垣

 本丸一文字門の西側に崩落した石垣が展示されています。江戸時代に崩れた石垣が埋めならされたものが発掘で見つかったということで、その現況の展示としているそうです。

本丸一文字門の手前にある見学台

 一文字門の大手橋の手前に見学台が設置されてありました。おそらく2,3mくらいの高さだと思います。本丸一文字門全体を眺めることができますので、訪れたら是非登ってみてください。

本丸

本丸入ってすぐの所

 本丸一文字門の高麗門を通って枡形を右折すると本丸に入れます。所々発掘か整備中のため、行ける所は道に限られていました。

本丸の井戸跡

 本丸入ってすぐ左には井戸跡がありました。石組の井戸です。

本丸に置かれていた石

 石垣の石なのかどうかわかりませんでしたが、発掘か整備中のような雰囲気でした。

本丸から一文字門方面を見る

 本丸から一文字門の枡形を真っ直ぐ南に見ると霞城セントラルのビルも見えました。

本丸土塁跡/堀跡

本丸西側の土塁と堀

 本丸西側の土塁と堀です。綺麗に整備されています(まだ整備中かもしれませんが…)。

本丸南側の土塁と堀

 本丸南側の土塁と堀です。東向きに撮ってますので、一文字門の石垣、土塀も見えます。

本丸南側の土塁と堀

 本丸南側の土塁と堀です。南から撮っています。土塁は高さがありますし、堀の幅も広いですね。

本丸東側の土塁と堀

 本丸東側の土塁と堀です。一文字門の櫓門の石垣が土塁へと続いています。

アクセス

JR山形駅から徒歩で行くことができます。途中、霞城セントラルに寄っていくのがお勧めですので、山形駅から徒歩の場合は南大手門から巡るといいと思います。

JR山形駅からの徒歩所要時間
・山形駅 → 二ノ丸南大手門 : 約10分
・山形駅 → 二ノ丸東大手門 : 約15分

車の場合、霞城公園の無料駐車場が3ヶ所あります。車の出入りは北門のみとなっているようです。ご注意ください。

スタンプ設置場所

 山形城の日本100名城スタンプは下記に設置してあります。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)

二ノ丸東大手門櫓門
山形市郷土館
最上義光歴史館
尚、12月29日から1月3日の年末年始期間に限り、下記の場所で押印可能
山形市観光案内センター

開館時間、休館日にご注意ください。どの施設も入場無料です。

周辺スポット

最上義光歴史館

 山形の戦国大名といえば最上義光ですよね。最上義光の事績を中心に、最上家関係の資料を収集、保管、調査研究すると共に、広く一般に公開し、義光公並びに最上家を顕彰する施設として最上義光歴史館が建設されています。二ノ丸東大手門のすぐそばですので、足を運んでみてもいいかと思います。

タイトルとURLをコピーしました