水城

登城記

続日本100名城

登城日:2022年10月

 水城(みずき)は、7世紀、白村江の戦いに敗れた倭国(日本)が、国土防衛のために築いた防御施設。外濠をもつ長大な防塁(土塁)です。

概略

 「日本書紀」に「筑紫に大堤を築き水を貯へ(たくわえ)、名づけて水城と曰ふ(いう)。」と記載された城です。663年、白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に敗れた倭国(当時の日本)が、国土防衛のために、福岡平野が最も狭くなったところを南北に遮断するように築造した防塁(土塁)です。太宰府を防衛するために作られたと考えられています。

 全長約1.2km・高さ9m・基底部の幅約80mの直線的な土塁で、博多側の土塁前面には幅60m・深さ4mの外濠があり、太宰府側には内濠がありました。土塁の東西端にはそれぞれ東門と西門が設けられており、大宰府内外を往来する際の関門であった。

 現在も巨大な土塁が残されています。土塁跡は桜、濠の跡は菜の花やコスモスの花畑となっている所もあるようです。

別名
城地種類築堤
築城年代天智天皇3年(664年)   
築城主ヤマト政権
主な城主不明
文化財史跡区分 国指定特別史跡

見どころ

東門跡/土塁

東門跡に立つ看板

 「福岡県道・大分県道112号福岡日田線」の道沿いに東門跡があります。水城の土塁を貫通するような感じで県道が通ってますね。昔から東門を通っていた街道なのでしょうか、けっこう交通量あります。

官道の説明板

 水城の東門、西門が太宰府の出入口となっていたようで、ここ東門のルートは博多に繋がっていて官人赴任ルートとみられています。

水城大堤之碑

 東門跡に水城大堤之碑があります。大正4年(1915)、水城青年会が大正天皇大典記念として建てた石碑のようです。石碑の後ろに見えているのが、まさに水城の土塁です。

土塁

 東門跡で、土塁を間近に見て迫力を感じることができます。この規模の土塁が全長1.2kmも続いていたということですから、相当迫力あったでしょうね。今でも高さもあります。

土塁

 県道側から見た東門跡付近の土塁です。

東門跡展望台(土塁の上部)

水城跡展望台を見上げる

 東門跡に水城館があり、その前の脇道から展望台へ上がることができます。

展望台から見た水城跡

 展望台に上がって見た南東方面の眺望です。目の前に見えている道は県道112号です。真ん中の木が茂っている所が土塁です。右側が博多側で外壕があった所で、左側が太宰府側で内濠があった所です。外濠跡も内濠跡も今は花畑になっているようです。
 展望台から見ても土塁の先は見えないですが、この土塁がここからずっと南東へ続いているということなので、平野を遮断するほどの巨大さということがわかります。それにしても、7世紀にこれだけ巨大で長大な土塁をしかも短期間で作り上げたということは驚きです。それほどに唐・新羅を脅威に感じていたということでしょうか…。

展望台の北東側

 ちなみに、展望台へ上って、北東側へも行ってみました。展望台のあたりは水城の東端だと思いますので、土塁の終端だとは思いますが、ある程度整備されていて歩けそうでした。

北東側へ行った先にあった柵

 途中まで行ったら、イノシシ侵入防止のための柵がありました。通行は自由でしたが、ここまでにして戻りました。

濠跡

外濠跡(南東方面を撮影)

 濠の跡は土塁に沿って歩くことができます。左側が土塁です。右側が外濠跡になります。

外濠跡から見た土塁

 外濠から土塁を見るとこんな感じです。ちょうどコスモスの季節で満開だったのか、見学に来られている方も多かったです。

コスモス畑から見る水城(東向き)

 せっかくのコスモスなので、土塁を含めて花畑を撮ってみました。

アクセス

水城は南北に長いので、まず東門跡に行くのがおすすめです。
東門跡に水城館もあり、展示スペースで史跡についての情報を得ることができます。

水城館

 水城跡展望台のすぐ下が水城館です。まずは水城館に訪れてみると良いと思います。

無料駐車場も近くに2ヶ所あります。

スタンプ設置場所

水城館

 館内に続100名城スタンプがあります。入場は無料です。上記の通り、駐車場あり。

開館時間と休館日にご注意ください。

「水城」の見学を考えると水城館でスタンプを押すのがおすすめですが、水城の場合は下記にもスタンプが設置されているようです。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)

大野城こころのふるさと館
・大野城市役所
・太宰府市役所 文化財課
・JR水城駅

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