続日本100名城
所在地:京都府福知山市
登城日:2019年11月
明智光秀が築いたとされる福知山城と城下町。「瓦一枚運動」などにより再建された天守は見応えあります。
魅力度ポイント
現在は本丸のみが残されているような状態だが、市民の思いで再建された天守を含めた景観は見応え十分です。
点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。
概略
丹波の国人横山氏の築いた横山城が前身とされ、1579年(天正7年)に丹波を平定した明智光秀が新たに明智の「智」の字を用いて「福智山」と名付けて、横山城の跡地に築城を開始したと言われています。光秀の甥の明智秀満が城代となり、石垣、天守が築かれたと考えられています。
本能寺の変の後、1582年(天正10年)に光秀が羽柴秀吉に敗れると秀吉臣下が城代となり、江戸時代には有馬氏、岡部氏、稲葉氏、松平氏と続き、朽木氏が13代続いて明治を迎えています。城主が変わる中で、城の改修と増築が進められ、大天守・小天守連立式の現在の福知山城の姿は、江戸時代初期にはほぼ完成していたと考えられています。
城は、由良川と土師(はぜ)川の合流点にある丘陵の先端部に築かれ、東側は川、西側は堀と土塁、南側は堀切、北東側は由良川を堀と見立てて、四方を防御する総構の城として築かれています。一番高い所に本丸、その西に二ノ丸、更に西に伯耆丸、内記丸と続く四つの連郭式城郭を形成していたようです。
1873年(明治6年)の廃城令以降、天守は失われ、都市開発などによって本丸以外の曲輪も削られ、埋められていき、石垣などが残りました。しかし、昭和になってから城再建の機運が高まり、「瓦一枚運動」などもあって、1986年(昭和61年)に往時の外観にそった天守が再建されています。
別名 | 横山城、掻上城、臥龍城 |
城地種類 | 平山城 |
築城年代 | 天正7年(1579年)頃 |
築城主 | 明智光秀 |
主な城主 | 明智氏、有馬氏、朽木氏、他 |
文化財史跡区分 | 市指定遺跡 |
見どころ
天守
ほぼ忠実に復元された天守外観
三重四階の大天守と二重二階の小天守が連結した形で、望楼型の天守です。二階まで板張で、その上の入母屋破風が大きな形で目をひきます。高さは18.5mだそうです。外観復元されていて、内部は福知山市郷土資料館になっています。
天守は、「瓦一枚運動」などもあって、江戸時代の絵図等を参考にして昭和61年(1986年)に再建され現在に至っています。2020年に発見された福知山城の古写真から、外観は往時とほぼ同じ姿であることが確認されたということです。
瓦一枚運動
昭和58年(1983年)から4年間にわたり、天守閣の瓦一枚分にあたる一口3000円の寄付を呼びかけた通称「瓦一枚運動」。なんと5億円以上の寄付金が集まり、総建設費の6割以上にあてられたそうです。思いと熱意が伝わってきますね。今この天守が見られるのもこのような活動があったからですね。
二重目が一重目よりも少し張り出している(ように見えるだけ?)、三重目の切妻破風が屋根に見えて四重の天守に見えたり、ユニークで面白い天守で、見ていて飽きないです。複雑な形をしているので、様々な角度から見ると全部表情が違います。
小天守そのものも良いですが、大天守と連結して天守全体が複雑で深みのある雰囲気を出す一翼を担っているようにも感じます。
天守最上階からの眺望
天守は内部が資料館になっています。天守最上階からの眺めは素晴らしいです。東には由良川と土師(はぜ)川が見えます。
北側を見ると由良川と山並みが見渡せます。見えている由良川の橋の手前あたり、ちょうど小天守に隠れているあたりが有名な明智薮(川の氾濫による水害を防ぐため、明智光秀が築いたとされる堤防)です。
西側は福知山市街です。昔でいう城下町でしょうか。夕暮れ時だったので、夕陽が眩しいですが、伯耆丸の跡である伯耆丸公園もよく見えます。
石垣
転用石が多用されている天守石垣
石垣は野面積で、五輪塔や墓石、宝篋印塔(ほうきょういんとう)などの石造物が転用石として活用されているのが特徴です。福知山城はちょっと探してみるだけでも数多く見つかるので、かなり多用している印象を受けます。
転用石の使用については、単に石不足であったとか、敵の武将や墓石を使うことで権力を誇示するためとか、呪術的な力で城を守護するためとか、諸説あるようです。
転用石は再建工事時にかなり見つかったようで、集められて展示されています。
天守西側の石垣はよく見ると縦に線が入っているように見えます。これは右側が光秀時代の石垣で、左側はそれより後に積み増されたものだと考えられています。
本丸石垣
本丸の石垣も立派ですね。天守の石垣よりも高さがあるように思います。
本丸の石垣にも転用石が使われています。転用石が矢印で示されていました。転用石の使用は天守石垣と比べると少ないように見えます。
北側の本丸石垣です。かなり立派です。
銅門番所(あかがねもんばんしょ)
銅門番所は取り壊しを免れた貴重な現存遺構です。天守の西側にあります。かつては二ノ丸の登城口にありましたが、大正時代に天守台に移築され、天守再建に伴い本丸跡に移転されました。
豊磐の井(とよいわのい)
天守の東側にある豊磐の井(とよいわのい)は、直径2.5m、深さは50mで本丸の井戸としては日本有数の深さを誇ります。今も水をたたえているそうです。
本丸その他
釣鐘門(つりがねもん)
釣鐘門も天守と同時に再建されています。往時は鐘を吊るしていたのでしょうか。
天守/本丸への道
駐車場から歩いていくと、まずこの昇龍橋という橋を渡ります。遠景の福知山城もいいですね。
昇龍橋を渡って左に進み、右側に城を見ながら登城していく感じになります。往時と同じ道なのかどうかはわかりませんが、城の雰囲気あります。
アクセス
JR・京都丹後鉄道「福知山駅」から徒歩約15分
車の場合、無料駐車場があります。駐車場から城までは川を渡ってすぐの距離です。
スタンプ設置場所
福知山城の続日本100名城スタンプは、下記に設置されています。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)
福知山市郷土資料館(福知山城天守閣)
福知山観光案内所(JR福知山駅北口)
開館時間、休館日にご注意ください。福知山城天守閣は入場料が必要です。