長浜城

登城記

所在地:静岡県沼津市

登城日:2022年12月

 「長浜城」といえば、豊臣秀吉が滋賀県の琵琶湖畔に築いた「長浜城」の方が有名だと思いますが、こちらは「伊豆長浜城」とも呼ばれる静岡県沼津市にあるお城です。

 戦国時代、関東を治めた北条氏の水軍根拠地である重須湊を守るため築かれた城と考えられています。第一曲輪〜第四曲輪などの遺構がよく整備されており、小ぶりながら見応えのある城で、海景も良いです。

魅力度ポイント

 曲輪の配置は面白いし、説明パネルも充実していて見やすいです。海と富士山の眺望も素晴らしい。

点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。

概略

 伊豆における北条水軍根拠地の一つが、この重須湊・長浜城である。1579年(天正7年)に武田勝頼が国境近くの沼津に三枚橋城を築城し、これに対抗して北条氏は伊豆の主要拠点である韮山城を守るため、海岸沿いに長浜城を築城したと言われている。1580年(天正8年)、武田・北条両水軍による駿河湾海戦が行われた。戦いの結果はよくわかっていないが、このような小競り合いは1582年(天正10年)に武田氏が織田信長に滅ぼされるまで続いたようである。その後、1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めにより韮山城が開城になったのと同時期に、長浜城も廃城になったと考えられている。

 昭和60年には市教委による詳細分布調査が実施され、昭和63年に国の史跡に指定され、平成6年度までには土地の公有化も完了し、平成7年度より保存整備に着手し、平成26年度に整備が終了している。平成27年度に史跡公園としてオープンし、約400年前の姿が復元された城跡を公開している。尚、長浜城跡は「ぬまづの宝100選」に選ばれている。

別名重須の城
城地種類平山城、海城
築城年代不明
築城主北条氏?大川氏?    
主な城主大川氏?
文化財史跡区分    国指定史跡

見どころ

 登城の全工程は以下で動画にまとめています。お時間あればご覧ください。

縄張

長浜城跡の登城口の横にあった模型
模型のアップ

 長浜城が築城されていた沼津市の内浦地区は、駿河湾が奥深く入り込んだ、奥駿河湾と呼ばれる海域に面している。奥駿河湾の最奥部は更に江浦湾と内浦湾に分かれているが、長浜城は内浦湾の海岸に面して築城されている。内浦湾に突き出た標高約33メートルの岬という地形を利用して建てられています。
 登城口の横には城の模型がありました。全体感が掴みやすくてわかりやすい模型です。第一曲輪〜第四曲輪などの曲輪や土塁、堀が残っています。

登城口

長浜城跡の登城口の横の看板
長浜城の登城口の横の説明パネル

 登城口の横には看板や長浜城の模型説明パネルがあります。よく整備されていますので一読してから登城すると良いと思います。

長浜城の石碑と登城口

 長浜城の石碑が駐車場の脇にあります。左横には鳥居。写真では暗くてわかりにくいかもしれませんが、石碑の右横に階段があり、ここから登城することができます。

第四曲輪

第四曲輪と第四曲輪から見た堀切

 登城口から階段を登って左に折れると第三曲輪と第四曲輪の間の堀切に辿り着きます。少しわかりにくいですが、写真は第四曲輪から堀切を映しています。(写真右側から登ってきます。)第四曲輪はかなり小さな曲輪です。曲輪内に説明板もありました。

第三曲輪

第二曲輪と第三曲輪の間の虎口と堀切
第二曲輪と第三曲輪の間の虎口と堀切(第二曲輪から撮影)
第二曲輪と第三曲輪の間の虎口と堀切の説明板

 第四曲輪から第三曲輪方面へ登っていくと、第二曲輪と第三曲輪の間の虎口に辿り着きます。当初は跳ね橋があったようですが、のちに幅を狭くして虎口(出入口)に改造されたようです。その名残が3つの柱穴になっているようです。土塁も高く、説明板にもあるようにここは城の重要な地点であったようです。

第三曲輪
第三曲輪の弁財天

 第二曲輪と第三曲輪の間の虎口を通り、右手に折れると第三曲輪です。弁財天の祠が建っています。曲輪の南側には土塁が残っています。

第二曲輪

第二曲輪

 第三曲輪から西へ進むと第二曲輪です。長浜城で一番広い曲輪です。

第二曲輪の南側を見る

 曲輪の南側には土塁があります。説明板によるとこの地点の土塁は1m以上の高さが想定され、陸側の防御を想定して造られていたようです。北側(海側)には土塁は造られていないようです。

第二曲輪の掘立柱建物跡

 第二曲輪には柱穴から推定された掘立柱建物が復元展示されています。平成22年度の沼津市教育委員会の調査で柱の跡が約200基あり、掘立柱建物跡が6棟と竪穴状掘立建物跡1棟が確認されたということです。

第一曲輪と第二曲輪の間の堀

 第一曲輪と第二曲輪の間には深さ約1.6mの堀があります。岩盤をくり抜いて作ったらしいです、すごいですね。

第一曲輪と第二曲輪の間の櫓
第一曲輪と第二曲輪の間の櫓

 第一曲輪と第二曲輪の間には復元されたがあります。第一曲輪への通路口が発見できなかったため、第一曲輪と第二曲輪を連結する登り口の役割もあったと想定されています。見張る役割と通路を兼ねた櫓は珍しいですね。面白い作りです。復元した櫓は発掘調査で発見された柱穴の上に正確に建てられているそうです。階段などの構造は推定復元だそうです。

 櫓からの眺めは素晴らしいので何枚かアップします。

櫓から見た第二曲輪
櫓から見た第二曲輪と第一曲輪の間の堀切
櫓から見た腰曲輪と櫓を繋ぐ木製通路と海(内浦湾)
櫓から見た第一曲輪と海(内浦湾)(その向こうに富士山も)

第一曲輪

第一曲輪

 第二曲輪の櫓を登っていくと第一曲輪です。右側の柱穴を復元展示してある部分は塀があったと想定されており、外からは見えない特別な空間が設けられていたと考えられています。城の中で最も偉い人が居た空間かもしれませんね。

第一曲輪から見た櫓と第二曲輪

 第一曲輪は長浜城の中で最も高いところに位置しています。第二曲輪も下に見えますね。

第一曲輪から見た内浦湾

 最も高いところなので、海景も素晴らしいです。北東を見ると内浦湾が望めます。

第一曲輪から見た富士山と沼津方面

 さらに、北の方を見ると富士山(ちょっと雲がかかってますが…)と沼津市街が見えます。当時の武田家の三枚橋城もよく見えるようです。敵国の監視や水軍指揮としての立地の良さがうかがえます。

第一曲輪から見た腰曲輪

 緑に囲まれたあたりに説明板が立ってます。あの辺が腰曲輪です。

腰曲輪A〜D

腰曲輪へ連結されている通路

 第二曲輪から櫓を登らずに右手の通路を行くと腰曲輪に出られます。

腰曲輪

 第一曲輪から海に向かって北東に伸びる尾根上に大小4つの曲輪が階段上に直線的に配置されています。腰曲輪と呼ばれており、第一曲輪に近い方から便宜的に腰曲輪A、B、C、Dと呼んでいるようです。写真は腰曲輪Aから撮っています。

腰曲輪から見た第一曲輪方面

 腰曲輪Bから見た第一曲輪方面です。腰曲輪Aの先が第一曲輪、左に櫓が見えます。

腰曲輪Dの先

 腰曲輪をAからDに向かい、さらにどんどん降っていくと海岸まで出てしまいました。

田久留輪(安宅船原寸大模型)

遊歩道の階段から見た田久留輪と安宅船原寸大模型

 腰曲輪Aから西の方角へ行く遊歩道があり、歩いていくと長浜城の西側の田久留輪へ降りていくことができます。そこに安宅船原寸大模型があります。

曲輪の石垣?

 遊歩道は第一曲輪の下方周りをぐるっと回っていく感じなのですが、途中に気になる石垣を見つけました。往時のものか近世のものか定かではありません…

安宅船原寸大模型と城の西側

 安宅船に関する説明パネルもあります。一読してみると良いと思います。

安宅船原寸大模型と城の遊歩道

 見えている遊歩道の階段の上の向こうが第一曲輪です。降りてみると高さが結構ありますね。

安宅船原寸大模型

 実際に近くで見ると大きいです。侍50人、水手(漕ぐ人)50人が乗ったといわれています。

田久留輪の石積み

 田久留輪の石積みの跡が発掘調査によって見つかっているようです。

アクセス

公共交通機関だと不便ですので車で行くのがおすすめです。
駐車場もあり、3〜4台は停められそうでした。

県道17号から入れます。入った先の左奥が駐車スペースになっています。

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