続日本100名城
所在地:高知県南国市
登城日:2025年9月
土佐を統一した長宗我部氏の居城だった山城。曲輪や堀、土塁の組み合わせの面白さは戦国の山城として魅力的です。長宗我部元親も見たであろう土佐の景色も素晴らしいです。
魅力度ポイント


戦国の山城として、横堀・土塁といった遺構や曲輪の配置が見どころです。
点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。
概略
岡豊城は、土佐を平定し、さらに四国全土をほぼ統一した長宗我部氏の居城だった城です。15世紀頃に長宗我部氏によって築城されたと考えられています。長宗我部氏は土佐七雄と呼ばれた有力国人の一家であったが、弱小だったと言われています。長宗我部国親の子である元親の代になって、長宗我部氏は飛躍し、四国をほぼ統一するに至りましたが、豊臣秀吉の四国侵攻に屈し、土佐一国に減じられた。元親は1591年(天正19年)頃に浦戸城に本拠を移したため、岡豊城は廃城となった。
城は香長平野(かちょうへいや)の北西端にある岡豊山に築かれており、南側の国分川を天然の堀とし、山頂部の詰を中心に、北東に詰下段、ニノ段、西に三ノ段、四ノ段、西側丘陵に伝厩跡曲輪が配置された連郭式の山城です。石垣、曲輪、土塁、空堀などが残っています。現在は、城跡の一角に高知県立歴史民俗資料館が建っています。
| 別名 | - |
| 城地種類 | 山城 |
| 築城年代 | 15世紀頃 |
| 築城主 | 長宗我部氏 |
| 主な城主 | 長宗我部氏 |
| 文化財史跡区分 | 国指定史跡 |
見どころ
高知県立歴史民俗資料館

いきなり城跡ではない高知県立歴史民俗資料館となりますが、岡豊城の城跡の一角と思われる場所に建っていて、城とは関係性が深いので、まず最初に見どころとしてあげました。
高知県の歴史・民俗等が展示されていますが、長宗我部展示室もあり、長宗我部氏や岡豊城に関する展示が充実してますので、岡豊城に登城する前に是非寄ってみてください。

高知県立歴史民俗資料館では岡豊城散策のパンフレットがもらえます。とてもわかりやすい城跡図も載っていますので、これをもらってから城を巡るといいと思います。

そして、資料館の入り口の目の前には長宗我部元親の飛翔之像があります。槍を天に向けて突き上げています。カッコいいです!

もっと接写してみました。いいですね、長宗我部元親!土佐一国を統一し、四国もほぼ制覇し、土佐の出来人と呼ばれたと言われていますね。優秀な戦国大名だったんだと思います。
そして、長宗我部元親の背後の階段が岡豊城の城跡に続いています。
縄張

城跡の所々に案内板がありました。今どこにいるのかわからなくなりそうな場所もありましたが、このような案内板や高知県立歴史民俗資料館でもらえるパンフレットを見ながら行けば、迷わず散策することができると思います。

これは高知県立歴史民俗資料館に展示されていた岡豊城の模型です。詰と呼ばれている本丸に相当する曲輪が山頂部にあり、それを取り巻くようにいくつかの曲輪や土塁、堀などが配置されています。
ニノ段

長宗我部元親像の後ろにある階段を登り、さらにこのような階段がニノ段へと続いています。

ニノ段は詰の東側に位置しており、堀切で区切られた曲輪になっています。南東から南側は土塁で囲まれており、往時ほどではないにしても土塁の痕跡がわかります。往時は、幅約3m、高さ約1mあったそうです。土塁の向こうには国分川と土佐の平野が見渡せます。

ニノ段は三角形の形状で、長さ約45m、幅約20mの大きさであるようです。東屋がありました。
詰下段(つめかだん)

ニノ段から詰の方へ進むと、詰下段があります。その間に堀切があります。左側がニノ段、右側が詰下段です。幅3〜4m、深さ2m前後ということらしいですが、写真を見てわかる通り、草が繁茂していて残念ながらよくわかりませんでした・・。堀切らしさは感じたのですが・・。

詰下段は詰の東側に位置する割と小さい曲輪です。礎石があり、建物があったようです。

東側には土塁があります。往時は幅約2.5m、高さ約1mだったようです。写真ではわかりにくいですが、土塁の基部には石積みがあります。
詰(つめ)

詰下段の西側に詰があります。他の城で言う本丸ですね。岡豊山の頂上部にあり、1辺40mのほぼ三角形の形をしているようです。

建物の礎石が復元されています。2層以上の建物が建っていたと考えられています。

南側には土塁が残っています。基部には石積みが見られます。築城当時は周囲に巡らされていたと考えられているようです。

詰は頂上部だけあって、眺望が素晴らしいです!眼下に国分川と平野、その先の山の向こうには太平洋も望めます。
三ノ段

詰の西側には三ノ段があります。詰から降る途中の道中から三ノ段を見た写真です。石積みに囲まれているのがわかります。

礎石建物跡があります。1棟建っていたようです。

石積みは復元されているようですが、良好に残っていたようです。岡豊城で現在見られる石積みの中で最も高さのある石積みだと思われます。

三ノ段の南側半分くらいです。南に行くほど細長くなっていて西側には土塁があります。詰の西側の防御として有効になりそうな曲輪です。
四ノ段
四ノ段北部

三ノ段のさらに西側には四ノ段があります。虎口により二分されており、こちらは北部の曲輪です。そこまで広くなく、北西は土塁で囲まれています。草でわかりにくいですが、今も土塁の跡だとわかります。

こちらが虎口です。北側から見ています。往時の石垣?と思われる遺構もあり、高い土塁に囲まれています。岡豊城の中でも圧迫感を一番感じた場所です。
四ノ段南部

四ノ段南部の曲輪です。北側から見ています。東西両側が土塁で囲まれています。

四ノ段の東側です。つまり、三ノ段を見ています。かなり高低差がありますね。

西側もそれなりの土塁があります。基部に石積みが見られます。岡豊城の土塁の多くに見られる特徴ですね。

南側にある横堀です。左側が四ノ段です。往時はもっと深かったのではと想像します。
こうして見ると、四ノ段は虎口といい、土塁・堀といい、かなり防御力が高そうです。重要な防御のポイントだったのではないかと勝手に想像してしまいます。
岡豊城址の石碑/展望広場

四ノ段の南側に、南の方を向いて「岡豊城址」の石碑があります。かなり大きくて立派です。

近づいてもなかなか適当な距離がとれず、どアップになってしまいました。田中光顕が書いた文字なんですね。幕末の志士と呼ばれる土佐の人だと記憶してますが、驚きです。

四ノ段の南側には、岡豊城の曲輪の跡なのか、その一部だったのかわかりませんが、展望広場と呼ばれる場所があります。ただ、眺望は詰や伝厩跡曲輪の方が良かったと思います。
伝厩跡曲輪(でんうまやあとくるわ)

四ノ段の西南方向に少し離れた位置にあるのが伝厩跡曲輪です。四ノ段を西方面に降っていくと、写真のような伝厩跡曲輪へ登る道があります。

詰の西南方面の出城のようになっている独立した曲輪です。長さ約30m、幅約17mの楕円形状で、急な斜面に囲まれています。

展望台があります。金属製の輪になった滑り棒?のようなものも付いていて、ちょっと面白い形状をしています。

展望台からの眺望は素晴らしいです!詰から見る景色も良かったですが、こちらも負けず劣らず良いです。詰で見るより国分川がより間近に見えます。結構幅広い川で、浦戸湾、桂浜につながっています。
竪堀(たてぼり)

城跡にはこのような竪堀の跡を示す案内板がありました。色のついた線が竪堀や横堀、土塁を表しています。無数の堀と土塁が組み合わさっていて凄いですね。

四ノ段の西側斜面の竪堀です。草のない季節の方が見やすいかもしれませんが、雰囲気はわかりますね。
アクセス
電車やバスといった公共交通機関だと非常に行きづらいです。
車で行くのがオススメです。高知県立歴史民俗資料館の駐車場を利用できます。

スタンプ設置場所
岡豊城の続日本100名城スタンプは、下記に設置されています。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)
・開館時間、休館日にご注意ください。


