鳥越城

登城記
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続日本100名城
所在地:石川県白山市

登城日:2019年5月

 戦国の山城の雰囲気を存分に味わうことができます。山頂を活かした曲輪の構成、土塁空堀の迫力は見事です。復元された門も雰囲気あります。

魅力度ポイント

 戦国山城として見応えたっぷりだと思います。堀切や横堀、土塁、曲輪といった遺構と復元された門がとてもよくマッチしています。

点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。

概略

 鳥越城は、天正年間(1573〜1592年)に加賀一向一揆の拠点の1つとして本願寺から派遣された鈴木出羽守(でわのかみ)が築城したと言われています。一揆衆は織田信長の軍団と戦っていましたが、1580年(天正8年)には柴田勝家の謀略によって鳥越城は落城しています。それでも一揆衆は抵抗を続けていましたが、1582年(天正10年)には佐久間盛政によって一揆衆は鎮圧され壊滅しています。

 城は、手取川と大日川に挟まれた標高約312mの丘陵の先端部を利用して築城されています。東西約400m、南北約1200mの城域で、山頂を中心に、本丸中の丸二の丸後二の丸後三の丸などの曲輪で構成されています。

 15次にわたる発掘調査で、焼けた陶磁器、鉄砲玉や炭化した兵糧など、激しい戦闘を物語る遺物が出土しています。現在は、本丸枡形門や石垣が復元されており、史跡公園として整備されています。

別名別宮城   
城地種類山城
築城年代天正初年頃(1573年〜)   
築城主鈴木出羽守
主な城主鈴木氏
文化財史跡区分 国指定史跡

見どころ

縄張

鳥越城の案内図

 鳥越城の駐車場付近にあった案内図です。とても分かりやすい絵図になっています。城跡はよく整備されているので迷うということはないですが、この絵図を念頭において城を巡るといいですよ。

石碑

 縄張ではないですが、このような鳥越城の石碑がありました。
加賀一向一揆 最後のとりで 鳥越城址 天正八年十一月落城』と石に刻まれています。結構大きな石です。この大きさの石を使った点や落城した年月が刻まれているところなど、何やら凄まじさを感じてしまいます。このような石碑は他の城ではあまり見ないかもしれません。

後三の丸(うしろさんのまる)

あやめが池
後三の丸とあやめが池

 後三の丸は城の北側の曲輪です。その東側に空堀があり、あやめが池と呼ばれている池に落ち込んでいます。写真左側が後三の丸で、真ん中に見えている空堀の手前があやめが池です。

あやめが池

 近くによると水が溜まっていることがわかりました。湧水などが流れ込んでくるようですね。

あやめが池の説明板

 付近に説明板がありました。これによると石積み木桶が出土したということですので、水が溜まるようにしっかりと設計されていたことがわかります。

後三の丸
後三の丸(東側)

 南側から見た後三の丸です。写真左が後三の丸で、その曲輪に沿って空堀があります。

後三の丸(東南面)

 なかなか高さのある土塁でかなり段差があります。

後三の丸(西側)

 南側から見た後三の丸西側斜面です。こう見ると相当に高いです。

後三の丸(出入口)

 南西側から後三の丸に入っていける道があります。案内板も立っています。

後三の丸(手前の曲輪)

 入っていくと一段高い曲輪?があり、さらに進むと後三の丸です。

後三の丸

 後三の丸の内部です。鳥越城の北端を占める曲輪で、けっこう広いです。説明版によると、鳥越城で最も広い曲輪だということです。

本丸西側の土塁と空堀

後二の丸と後三の丸の間

 駐車場から進んでいくと、後二の丸後三の丸の間の通路から城内に入っていく感じになります。この写真の左側が後二の丸で右側が後三の丸です。かなり幅の広い道になっていて、曲輪の間なのでもしかしたら当時は空堀だったのかもしれません。後二の丸に沿った横堀が見事です。

本丸西側の土塁と横堀

 後二の丸の南隣が本丸なので、通路を進んでいくと左側は本丸の土塁になっていきます。こちらの横堀もすごいですね。

本丸西側の土塁

 本丸西側の土塁と横堀です。階段が見えますが、階段手前の堀には土橋があったようです。

後三の丸から見た本丸西側

 通路を挟んで本丸の向かいが後三の丸ですので、後三の丸の出入口付近から見た本丸の西側です。土塁の迫力はすごいです。

本丸西側の土塁と横堀(北側を見る)

 通路を進んでいって振り返って撮った写真です。ですので、右側が本丸土塁横堀が素晴らしいです!

本丸西側

 本丸の西側です。土塁は高いです。とても登れなさそうです。柵も見えます。

後二の丸(うしろにのまる)

駐車場付近から見上げる後二の丸

 駐車場のすぐ南側は後二の丸になっています。相当に高くて断崖絶壁のようになっています。

本丸と後二の丸の間の空堀

 本丸から見た後二の丸です。間に鋭くて深い空堀があります。

後二の丸

 本丸から見ています。建物跡が2つあります。本丸からは直接渡れないようですね。

中の丸

中の丸

 本丸の西側の通路を登っていくと中の丸に辿り着きます。本丸二の丸に接している曲輪のようです。写真奥の土塁の先が二の丸で、写真左側が本丸です。感覚的には本丸と同じくらいの広さがあるような気がします。

中の丸から見る本丸方面

 中の丸から本丸を見ています。柵と石垣の向こう側が本丸です。本丸門が見えます。

中の丸門

 中の丸の南側に出入口があり、中の丸門が復元されています。

城外から見た中の丸門

 中の丸門から城外に出て、城外から見た中の丸門です。山城の木造の門は雰囲気ありますよね。往時をイメージしやすいです。

二の丸

二の丸

 中の丸の南東側に隣接している曲輪が二の丸です。周りは土塁で囲まれていたようです。往時はもっと高かったのかもしれませんが、それでも土塁であることがわかります。

建物跡

 建物跡がわかるように木の柱が埋め込まれています。掘立柱建物礎石建物があったようです。

隅櫓跡

 南東隅には隅櫓があったようです。

南東から見た二の丸

 南東隅あたりから見た城内です。二の丸に隣接している中の丸があって、その先が本丸です。

二の丸から見た中の丸門

 すぐ隣が中の丸門で、土塁で区切られている感じです。

本丸

本丸の桝形門

 中の丸の北側が本丸です。復元された桝形門石垣があります。雰囲気ありますね〜。

本丸門

 桝形門を通ると枡形の空間があり、その先に本丸門があります。こちらも山城の雰囲気あります。

枡形内部

 枡形内部から桝形門を見たところです。

枡形

 本丸の展望台から見た枡形です。長方形をしています。山城の頂上の本丸で枡形を構築しているというのはとても防御力高いですね。

本丸と中の丸の間の堀切

 枡形から見た堀切です。草が生い茂ってますが、とても鋭い堀切になっています。

堀切越しの中の丸

 本丸から堀切越しに中の丸の方を見ています。中の丸側に柵が並べられています。

本丸

 本丸門を入った先が本丸です。

展望台から見た本丸

 建物跡が柱で表現されています。礎石も配置されています。結構広い曲輪です。柵が並べれている面以外は土塁が構築されています。往時はもっと高かったかもしれません。

本丸門方面を見る

 本丸から逆に本丸門を見ています。門の脇の土塁は結構高いですね。

本丸と展望台

 本丸門の向かって右側(この写真の左側)は展望台と呼ばれているようです。鳥越城で最も高い場所かもしれません。

井戸跡

 なんと本丸に井戸があったようです。この高所で井戸とは、、よほど深く掘ったのでしょうか。

本丸からの眺望(南西)

 本丸からは景色も最高です。山深いですが、城としては絶好の場所です。

本丸からの眺望(北東)

 こちらは北東側です。平地に木が茂っている所が手取川です。田んぼが美しいですね。もしかしたら往時とあまり変わっていない景色かもしれませんね。

本丸越しの眺望

 それにしても眺望は素晴らしかったです。

アクセス

電車やバスといった公共交通機関だと非常に行きづらいです。最寄りの駅がありません。
車で行くのがオススメです。県道44号線から入れる道が鳥越城の麓(城の西側)にあります。城のすぐそばの駐車場まで行けます。

スタンプ設置場所

 鳥越城の続日本100名城スタンプは、下記に設置されています。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)

鳥越一向一揆歴史館

・開館時間、休館日にご注意ください。

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