足利氏館

登城記

日本100名城
所在地:栃木県足利市

登城日:2016年5月

 足利氏の勃興を感じる土塁と堀で囲まれた方形館跡。鎌倉時代から残る鑁阿寺本堂は鎌倉武士を感じさせます。

魅力度ポイント

 鎌倉時代からの武士を感じる館跡鑁阿寺の建造物。東西南北にそれぞれあるも良いです。

点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。

概略

 足利氏館は、平安時代末期から鎌倉時代初期に足利氏二代目の足利義兼(よしかね)によって築かれたと言われています。中世地方武士の居館「方形館」と呼ばれている形状で、周囲を土塁で囲んだ造りになっています。外周は北約223m、南約221m、東約175m、西約206mとなっています。北、東、西は山で囲まれ、南には渡良瀬川が流れており、天然の要害の地となっています。

 足利義兼は館内に持仏堂を建立し大日如来を奉納。晩年出家し、鑁阿と称しました。その法名がお寺の名前となり、「鑁阿寺」(ばんなじ)と呼ばれるようになったようです。その後、鑁阿寺は足利氏発祥の地、また氏寺として厚く保護されました。足利氏館は、1922年(大正11年)に国指定史跡に、鑁阿寺本堂は2013年に国宝となっています。

 最初は私もよくわかっていませんでしたが、「足利氏館」も「鑁阿寺」も同じ所を指しています。昔、足利氏館だった所が、今は鑁阿寺になっているということになります。

別名
城地種類平城
築城年代平安時代末期〜鎌倉時代初期   
築城主足利義兼
主な城主足利氏
文化財史跡区分 国指定史跡

見どころ

縄張

鑁阿寺伽藍図

 境内にあった鑁阿寺伽藍図です。縄張図ではありませんが、足利氏館の縄張として見ても同じだと思います。中世の方形の館跡なので台形のような四角形をしています。土塁で囲まれ、東西南北に門があります。

土塁/水堀

東側
東側の土塁と水堀(南側)

 東側の土塁水堀です。東門より南側です。まっすぐな堀と土塁です。

東側の土塁と水堀(北側)

 東門より北側土塁水堀です。亀がいっぱい集まってました。

内側から見た土塁(東門)

 東門に入ったあたりから見た土塁です。

南側
南側の土塁と水堀(東側)

 南側の土塁水堀です。堀に架かっているのは、太鼓橋で南側の門(山門)に続く橋です。その山門の東側の土塁と水堀になります。

カルガモ注意の看板

 堀際には「カルガモのとびだし注意」の看板がありました。きっとカルガモが住んでいるのだと思われます。ちょっとほのぼのとする光景を思い浮かべてしまいました。

南側の土塁と水堀(西側)

 山門より西側の土塁水堀です。

南西角の土塁と水堀

 南西角です。それにしても鎌倉時代の館跡がよくこんなに綺麗に残っているものです。足利氏が将軍になって天下を獲ったことが大きく影響していると思いますが、感慨深いですね。

西側
西側の土塁と水堀(南側)

 西側の土塁水堀です。西門より南側です。

西側の土塁と水堀(北側)

 西門より北側土塁水堀です。方形館なので当たり前ですが、どの方面も同じような土塁と水堀です。ここがどの方面であったかわからなくなりそうです・・。

内側から見た土塁(西門)

 西門に入ったあたりから見た土塁です。

土塁の上部

 土塁の上部に登ることができます。歩いて散策できます。

北側
北側の土塁と水堀(西側)

 北側の土塁水堀です。北門より西側です。

北側の土塁と水堀(東側)

 北門より東側土塁水堀です。
足利氏館の外回りを一周しました!本当に(笑)四角形の館で、均一な高さの土塁とほぼ同じ幅の水堀が館の周りをぐるっと囲んでいました!

鑁阿寺(ばんなじ)

本堂
鑁阿寺本堂 その1

 城跡ではないですが、鑁阿寺は足利氏館とは切っても切り離せない関係だと思います。特に本堂は鎌倉時代創建の建物を今に伝える貴重な建造物になっており、国宝に指定されています。本堂は足利義兼の子の義氏が建てたものになります。その後、落雷で焼失するようですが、足利貞氏が1299年(正安元年)に再建したようです。

鑁阿寺本堂 その2

 無骨なように見えるのですが、装飾が細かく施されていたり、屋根が反り返っている感じなど、往時は他に類のなかった建造物だったと想像します。

鐘楼
鐘楼

 鐘楼は本堂と同年に建てられたと言われています。国の重要文化財に指定されています。屋根の大きさ、高さといい、全体的なバランスが良くてかっこいいですね。

太鼓橋/山門
太鼓橋と山門

 南側の出入口となっている門が山門(仁王門)で、堀にかかっている橋が太鼓橋です。山門は室町時代に足利義輝によって再建されたようです。

山門

 室町時代からの歴史を感じる立派な門です。

東門
東門

 東側の出入口となっている所にある門で、鎌倉時代に建てられたと言われています。良い意味で古さびていて、飾り気がないですが、武士を感じさせる門ですね。風格を感じて見ていて飽きない門です。

北門
北門

 北門は北側の出入口となっている所にあり、江戸時代の創建と言われています。鎌倉時代に建てられた東門とはやはり違った印象を受けます。作られた時代の違いを感じことができるのも面白いですね。

アクセス

・東武伊勢崎線「足利市」駅より徒歩約15分
・JR「足利」駅より徒歩約15分
・車の場合、鑁阿寺の境内に駐車場があります(無料のようです)

スタンプ設置場所

 足利氏館の100名城スタンプは、鑁阿寺本堂の寺務所(お守り売り場)にあります。入場は無料です。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)

鑁阿寺本堂

開館時間、休館日にご注意ください。

周辺スポット

足利学校

 足利学校は、日本最古の学校と言われています。16世紀にはフランシスコ・ザビエルによって、関東地方の大学として世界に紹介されています。戦国時代、足利学校出身者は軍師として戦国大名に仕えることがあったそうです。足利学校は相当優秀な軍師を輩出していたらしく、武田信玄は足利学校出身ではない人は軍師として採用しなかった、ということを聞いたことがあります。足利氏館の南側に接していますので、足利氏館と併せて訪れると良いと思います。

北東角の土塁と堀
裏門
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