日本100名城
所在地:長野県松本市
登城日:2025年7月
現存12天守のうちの1つ。大天守、乾小天守、月見櫓の組み合わせの構造が複雑で多面的な表情を醸し出しています。復元された太鼓門と黒門も見応えあり。
魅力度ポイント


なによりも天守群が見どころですが、天守以外の門や堀、二の丸も楽しめます。
点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。
概略
松本城は、戦国時代の永正年間(1504年〜1520年)に、信濃守護であった小笠原氏によって築城された深志城(ふかしじょう)が始まりと言われています。天文年間には武田信玄が、当時の信濃守護である小笠原長時を追放し、松本一帯を支配下に置きました。その後、1582年(天正10年)に本能寺の変の動乱に乗じて、小笠原貞慶が深志城を奪回し、松本城と改名しました。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家康の関東移封が行われ、当時の松本城主である小笠原氏も下総に移ります。代わって石川数正が入城し、数正・康長親子によって、天守、城郭、城下町が整備されました。
明治以降は、天守が競売にかけられ解体の危機がありましたが、市川量造ら地元の有力者の努力によって天守は買い戻され、保存されていきました。1936年には天守群(大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓)が国宝に指定されています。現存12天守の1つです。
城は平城で、本丸があり、本丸を凹型で二の丸が囲み、さらにその四方を三の丸が囲むという縄張りになっています。各曲輪は水堀で隔てられています。尚、三の丸は一部の土塁などを除いて市街地化されており、現存する曲輪は本丸と二の丸になっています。
別名 | 深志城 |
城地種類 | 平城 |
築城年代 | 文禄2年〜3年(1593年〜1594年) |
築城主 | 石川数正・康長 |
主な城主 | 石川氏、小笠原氏、松平氏、他 |
文化財史跡区分 | 国宝、国指定史跡 |
見どころ
縄張

本丸の出入口(黒門)の外側にあった説明板です。この概要図の通り、松本城は平城で、本丸、二の丸、三の丸は水堀に囲まれていました。今残っている城跡は二の丸と本丸になるようです。

黒門の内部の枡形にあった説明板です。往時の様子が城下町とともに描かれています。三の丸の出入口のほぼ全てに馬出が設けられている所がいいですね。武田・徳川の城郭の系譜を継いでいるように感じます。

松本城の敷地内の何ヶ所かにこのような案内板がありました。「写真スポット」も載ってますので、参考になると思います。
太鼓門枡形

二の丸の東側の出入口が太鼓門枡形です。枡形門になっていて、内と外に門を二重に構えており、外側(外堀側)が二の門(高麗門)です。奥にあるのが太鼓門(一の門)で櫓門になっています。

二の門の前の橋から見た外堀と二の丸です。太鼓門の右側が二の丸ですが、石垣ではなく土塁になっていますね。堀の幅は広いです。

二の門をくぐって、裏側から見た二の門です。

二の門から入ると枡形になっていて、少し右にずれて太鼓門があります。(一の門と呼ぶのか太鼓門と呼ぶのかどちらが正しいのかわかりません・・どちらも正解かもしれませんが)。
それにしてもかなり立派な櫓門ですね。平成11年に復元されたものになります。

太鼓門の左側に超でかい石があります。玄蕃石と呼ばれています。なんと22.5トンもあるそうです。正門に城の威厳を表す巨石が置かれることがありますが、この玄蕃石もそれなのだと思います。
二の丸
二の丸御殿跡

太鼓門を通った後、右側に曲がると二の丸御殿跡です。凹型をしている二の丸の東側の部分にあります。

二の丸御殿は明治になって使用されていましたが、明治9年に全焼してしまったようです。現在は平面復元されており、どこに何があったのかわかるようになっています。向こうの方に天守も見えますね。

忠実に復元されているように思います。こちらは雪隠(せっちん)の跡、今でいうトイレですね。

二の丸御殿の絵図がありました。建坪は約600坪、部屋数は約50あったそうで、なかなかの規模の御殿です。絵図を見て平面復元を見ると、実際この場所にあった御殿を想像しやすいですね。
丑寅隅櫓跡

二の丸の北東隅にはこんもりと盛り上がっている高台があります。北東隅にあった丑寅隅櫓の跡になります。

丑寅隅櫓跡は二の丸の北東の隅っこにあり、高台になっているので外側がよく見渡せます。現在残っている史跡の北東の端っこがこのあたりでしょう。

堀の外側(北側)から見た丑寅隅櫓跡です。城の防御上重要な場所だったように思えます。ちなみに、天守周辺は観光客で常に賑わっている感じですが、この辺りまで来るとあまり人がいないのでゆっくり見学できます。
裏御門橋

二の丸の北側には外(三の丸)と繋がっている橋があり、裏御門橋と呼ばれています。橋は江戸時代から架かっていたようです。現在の橋がいつ頃できたものかわかりませんでしたが、木造のようですので水堀にかかる橋として雰囲気の良い橋です。

外(三の丸側)から見るとこんな感じです。城の中心部に裏からこっそり入っていくような雰囲気があります。
本丸
外堀

二の丸の裏御門橋から見た外堀です。橋から見て西側を撮っています。本丸の北側にある堀が外堀と呼ばれています。写真の芝生の土塁が二の丸、その向こうにある石垣の曲輪が本丸です。本丸から外側に架かっている石塁は北裏門跡の橋(土橋?)です。

本丸の北東隅のあたりの外堀です。土塁と石垣の間の堀は、本丸と二の丸を隔てている堀です。

こちらは逆に外堀の北西の角あたりから東側を撮っています。平城であり、戦国時代後半の築城だけに、堀は幅広く作られているように思います。綺麗な堀だと思います。

本丸の北西隅の外堀です。外堀と内堀がぶつかる角のあたりです。外から撮ってますので、内堀に架かっている赤い埋橋も見えます。赤い色がこの景色の中ではとても目立ちます。

それにしても堀の水が綺麗な感じがします。松本は水が豊富な町だと聞いたことがあったので、それで綺麗なのかなと何となく堀を見ていたら水が湧いている所を見つけました!この写真のちょうど真ん中です。

そこをアップで撮った写真です。わかりにくいかもしれませんが、地下から水が湧いて砂が舞うように動いていました。もしかしたら見当違いかもしれませんが、堀の中で水が湧く所があるため、水が綺麗なのかと思ったりしました。
北裏門跡

本丸の北側の出入口が北裏門跡です。小ぢんまりした勝手口のような佇まいです。外堀に橋が架かっています。橋は石塁で固められています。門の脇も石垣で固められていますので、小ぶりながら堅固な出入口のように思われます。

現在は通行禁止になっているため、通ることはできません。
埋橋(うずみのはし)

内堀に架かっている橋が埋橋です。本丸の西側と二の丸を繋げています。ご覧の通り、現在は通行禁止となっているため渡ることはできません。

天守に近い位置にあるので、天守を背景に眺めていると、真っ赤な橋が天守と堀の景観と妙に調和している感じがしてきます。

埋橋そのものは昭和に造られた観光用の橋だそうです。そうすると橋が接続している本丸側の石垣は崩されてしまったのかな??と思ったりましたが、そこまでわかりませんでした。
黒門

本丸に入る正門で、一の門(櫓門)と二の門(高麗門)、塀で枡形を構成しています。本丸の防御の要となっています。

内堀を渡ったところにある門が二の門で高麗門になっています。1990年に復元されました。今は、この二の門を通った先に松本城の観覧券発売所があります。

二の門を通るとすぐ一の門が見えます。櫓門になっていて、こちらは1960年に復興されています。この先が本丸です。下に見えているかわいいキャラクターは松本市のマスコットキャラ「アルプちゃん」です。

一の門の中には甲冑が展示されていました。門内に甲冑が展示されている所を他では見たことがないかもしれません。珍しいと思います。外国人の観光客は興味津々で見ていました。
本丸跡

黒門から本丸内に入っていくと、ついに天守が見えてきます。その天守が望める絶好のポジションにインスタっぽい写真スポットがありました。ただ、自分のカメラだと上手く枠内に天守が収まりませんでした・・。テクニックがまだまだ未熟ですね。。

本丸には本丸御殿跡があります。今は一面芝生となっていて、瓦で区切られている部分が本丸御殿跡を示しています。1727年(享保12年)に焼失してしまったようです。その後は再建されず、二の丸御殿に機能が移されたようです。

なお、芝生へは立ち入り禁止です。

違う角度から見た天守と本丸です。天守と青空と芝生の緑がよくマッチしていてとても美しいです。歩くたびに違う角度から見ることになるので、つい立ち止まって見てしまいます。

天守に登って最上階から本丸を眺めるとその広大さがよくわかります。芝生と木々の緑がいいですね。
天守
天守外観

きました!松本城といえば天守ですね!よく見るアングルの写真ですが、真ん中に大天守、左に乾小天守、右に辰巳附櫓と月見櫓を見渡すこの角度はすごくいいですね。あらゆる方面から天守が望めますが、やっぱりこの大天守の対角線上から見る感じはたまらなく良いです。

風がなくて空気が澄んでいると、内堀に天守が逆さまに綺麗に写りそうです。

北西の方角にはアルプスの山々が見えるみたいですが、この日はちょっと雲があって見えませんでした。山まで見えたら最高だったのですが・・。ただ、天守を眺めた時に他に人工的に高い建物が見えず、空間が広く感じます。それも松本城と天守の景色の良さだと思います。

本丸から見た天守もまたとても良いです。内堀越しに見ると威厳のある表向きの顔で戦闘的な感じがしますが、本丸から見ると包容力のある優しい感じを受けます。

本丸の真ん中を通って、天守まで近づき、中に入ることができます。近づいていくとまたその高さや存在感に圧倒されます。

天守群の真ん中の一番高い建築物が大天守です。下から見上げると五重六階のその大きさがよくわかります。

大天守の北側には乾小天守があり、渡櫓で連結されています。天守内部の見学は渡櫓から入っていきます。大天守、渡櫓、乾小天守は戦国時代末期に築造されたようです。

大天守の東側には辰巳附櫓と月見櫓があります。月見櫓は天守内部の見学の出口になっています。辰巳附櫓と月見櫓は江戸時代初め頃に築城されたと考えられています。徳川家光が松本に立ち寄った際に使用するために当時の藩主が建てたものですが、実際には家光は来なかったようです。

天守の入り口に近づくと、大天守の隅の石垣やその上の石落としも間近に見ることができます。天守群の雰囲気を間近に感じると、遠くから見て感じるのとは違った圧迫感がある気がします。
天守内部

大天守の一階です。現存天守だけあって、柱や床に風格を感じます。中に入ると外から見ていたより想像以上に広さを感じます。

大天守一階に武者走りがあります。説明板もありました。

一階の展示ケースには、鯱瓦(しゃちがわら)や懸魚(げぎょ)が展示されていました。他の階にも火縄銃や具足、発掘調査の出土品など松本城に関する様々なものが展示されていました。

階段はこんな感じで、そこまで急ではありません。どの階段付近にも案内の係りの人がいらっしゃいました。階段が一番混雑する所で、この日はそれほど混んでいませんでしたが、休日は階段行列ができそうな予感がします・・。

四階には御座所がありました。御簾のようなものが三方に架かっていて、城主の座の雰囲気があります。

六階の最上階です。東西南北に窓があり、外の景色を眺めることができます。窓には金網のような格子が付いています。

天井を見上げると素晴らしい構造で梁が組み合わされていますが、最も高いところに二十六夜神が祀られています。松本城の守護神らしく、本丸御殿に火事があった際に天守が焼けなかったのは二十六夜神様のおかげ、と語り伝えられているそうです。この素晴らしい天守が後世に残ったことを思うと二十六夜神様に感謝しかないですね。

さて、外に目をやると素晴らしい景色を眺めることができます。北側だと乾小天守の屋根が見えて、外堀の先には松本神社、さらにその先に旧開智学校が見えます。

西側は、眼下に内堀と埋橋が見え、はるか先にはアルプスの山並みが見えます。かなり雲がかかってますが、この日も雲間に山々を見ることができました。快晴だとさぞかし素晴らしい景色だったろうなと想像します。

見学経路としては、まず大天守でその後辰巳附櫓と月見櫓へいく、という順路になります。ちょうどその境目がここです。

月見櫓は戦闘的なところがなく、三方向は板戸となっており、朱色の回縁が周りを巡っています。戦いとは別趣の風流な感じの建物です。板戸なので開けると開放的です。

月見櫓から外は見やすく、本丸方面を見るとこんな感じで視界が広いです。
アクセス
JR松本駅から徒歩約20分です。
車の場合、松本城専用の駐車場はありません。市営開智駐車場がおそらく一番近いのでお勧めです。
スタンプ設置場所
松本城の日本100名城スタンプは下記に設置してあります。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)
・松本城管理事務所
松本城の本丸内(有料区域内)にある建物です。黒門を入った先にあります。
開館時間、休館日にご注意ください。松本城観覧の入場料が必要です。

周辺スポット
旧開智学校
松本城から徒歩約10分の場所に旧開智学校があります。明治9年に完成した洋風の学校で、2019年に国宝に指定されています。校舎内も見学できます。洋風なんですが、玄関の唐破風などは日本の建築っぽいです。何より面白いと思ったのは、校舎外側の1階の下の部分と1、2階の角の部分が「石」で構築されているように見えて、実は「木」で出来ているところです。近くで見た感じは完全に石でしたね・・。お城から近いので是非行ってみてはいかがでしょうか。
