脇本城

登城記

続日本100名城
所在地:秋田県男鹿市

登城日:2018年4月

 広大な城域に、曲輪と土塁の組み合わせが見事な土づくりの城です。散策するのに楽しい城です。日本海も一望できる往時の交通の要衝に立地しています。

魅力度ポイント

 おそらく、樹木などが見やすく整備されているので、東北最大級と言われる城の広さを感じることができます。曲輪の組み合わせを見ていくだけでも面白いです。

点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。

概略

 脇本城は、築城者及び築城時期が不明だが、1577年(天正5年)に安東愛季(あんどうちかすえ)が大規模な修復を行なって居城としたと言われています。廃城については、1589年(天正17年)の愛季の息子の実季(さねすえ)が湊城に居城を移した時期と、安東氏が国替えとなった1602年(慶長7年)の2つの説があるようです。

 城は、日本海に面した男鹿半島の付け根にある生鼻崎(おいばなざき)に築かれた山城です。総面積は約150ヘクタールで、東北最大級と言われています。丘陵地に築かれており、自然の地形を利用した大規模な造成で、土づくりの城です。石垣はないですが、曲輪や土塁、空堀、井戸跡などが良好に残っています。

別名湧本城、生鼻城、太平城   
城地種類山城
築城年代不明   
築城主不明
主な城主安東氏
文化財史跡区分 国指定史跡

見どころ

縄張

脇本城の案内図

 脇本城の麓にあった説明板の中の案内図の部分をアップにしています。日本海に突き出るように標高100m程の丘陵上に築かれた山城です。生鼻崎は江戸時代の地震によって一部が崩壊したらしく、往時はもっと広い城域だったかもしれません。

城内にあった説明板

 こちらは脇本城の城内にあった説明板です。曲輪土塁の遺構がわかりやすい図になっています。天下道を挟んで数多くの曲輪があることがわかります。生鼻崎の南側が不自然に途切れているのでこのあたりが崩壊した部分でしょうか。

登城道/天下道

登城口

 脇本城の麓の駐車場から脇本城への登城は、写真の道を登っていきます。鳥居の先の階段は菅原神社に続く道ですので、その右隣にある道が城へ続いています。(ちなみに、菅原神社を経由しても城に行けます。)

登城道

 こんな道が続きます。城まで大部分が舗装されています。

菅原神社の門前

 途中で菅原神社へと続く道とクロスします。写真の左側の道を登っていくと脇本城です。

登城道(城付近)

 道の途中に脇本城跡案内所があり、さらに進むともう少しでお城です。城まで舗装された道が続いています。写真の道を右に曲がったすぐ先が城域です。脇本城跡案内所から城までは後世に作られた道だと思いますが、そこ以外は通称「天下道」(てんがみち)と呼ばれる古道です。現在は城の西側が分断されていて通り抜けができないようですが、往時は秋田方面から船川・北浦方面へ向かう主要な道として利用されていたようです。

内館地区

内館地区

 登城道の突き当たりまでいくと、城内に入り、一気に視界が広がる感じです。道の右側の領域が内館地区です。

内館地区の曲輪

 登城道から右側を見上げると切岸の上に曲輪があります。主殿があった場所と考えられています。

主殿の西側の空堀

 下から見た空堀です。右側が主殿の曲輪です。 

曲輪の虎口

 空堀の底のあたりまで登ると、主殿の西隣の曲輪の虎口もよく見れます。

内館地区の西側の曲輪から見る

 その西隣の曲輪から主殿方面を見た写真です。間に空堀があり、その向こうが主殿跡の曲輪です。

主殿跡にあった説明板

 主殿跡の曲輪に行くと説明板がありました。これによると、この辺りが城の主要部で、城主が住む館や儀式を行う主殿会所があった場所と考えられているようです。

主殿跡と城主の館との間にある大土塁

 主殿跡はかなり広い曲輪になっています。奥に見える土塁が城主の館との間の大土塁で、脇本城最大の土塁です。高さ6m程もあるそうです。

大土塁

 大土塁の上から見る城内です。右側が主殿側です。

城主の館があった曲輪

 主殿跡の隣の曲輪です。城主の館があった曲輪と考えられています。こちらも広さがあり、高い土塁に囲まれています。

井戸跡の説明板

 井戸跡の説明板がありました。城内各所に井戸跡が残っているようです。

井戸跡

 雨が降った後なのか、水が溜まっていました。

全景
大土塁から見る城内

 大土塁から城内を見るとこんな感じです。登ってきた道(舗装された道)も見えます。左側は生鼻崎地区です。こう見ると相当に広い城域です。城跡の曲輪や空堀がよくわかるように、おそらく樹木も伐採されていると思われます。そのおかげでとてもよく見渡せます。

内館地区と生鼻崎地区の中間あたりから城内を見る

 左側が主殿跡の曲輪がある部分で、右側が生鼻崎地区の曲輪群です。登ってきた道を真下に見る感じです。海も見えます。

生鼻崎地区から見た内館地区

 逆に生鼻崎地区の方から内館地区を見るとこんな感じです。真ん中あたりで一段高くなっている曲輪が主殿跡の曲輪です。その奥に大土塁も見えます。やはり広大ですね。

生鼻崎地区

内館地区から見る生鼻崎方面

 登城道の向こう側が生鼻崎地区です。海に突き出すように、幾つか曲輪が連なっています。

西側の土塁

 生鼻崎地区の曲輪の西側は土塁が残っています。南北250mくらいあるそうです。

西側土塁の説明板

 付近に西側土塁の説明板もありました。

西側の日本海

 土塁の外側を見ると日本海が望めます。城の南側が日本海ですので、西の方は男鹿半島になります。

先端の方の曲輪

 生鼻崎地区の丘陵の先端(南側)の方まで曲輪が続いています。曲輪の先は断崖となり海に続きます。

先端の曲輪と土塁

 最も先端と思われる曲輪まで来ました。端には土塁が残っているようです。

南側の景色

 先端の曲輪が脇本城の南の端っぽいです。南側は日本海が広がっています。

南の曲輪から見た城内

 そこから日本海とは逆に北側を見ると城が見渡せます。土塁と曲輪が組み合わさった城の様子が一望でき、壮観な眺めです。

寒風山回転展望台

 脇本城の北には寒風山があります。頂上にある寒風山回転展望台も城から見えます。かなり望遠で撮ってますが、はっきりわかります。陸地も海も見渡せるので、城の立地としては最高ではないでしょうか。

南の曲輪から見た城内(少し東方面を見る)

 ちょっと東側を見ると、登ってきた道と脇本城跡案内所の小屋も見えます。麓に見えている海沿いのあたりに城下町があったようです。

アクセス

公共交通機関だと行きづらいです。JR男鹿線「脇本駅」から徒歩約30分以上かかると思われます。

車の場合、脇本城の麓に無料駐車場がありますので、こちらがオススメです。登城道のすぐ近くの場所にあります。

スタンプ設置場所

 脇本城の続日本100名城スタンプは、下記に設置されています。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)

脇本城跡案内所

・入場は無料のようです。

脇本城跡案内所

登城道の途中にあります。スタンプは終日利用可能なようです。

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