日本100名城
所在地:青森県八戸市
登城日:2019年4月
復原整備された戦国時代の本丸の建築物、幅広い堀で区切られた曲輪は見応えあります。根城の広場として整備されている城跡はとても気持ちの良い空間になっています。
魅力度ポイント


広い空間の城跡と本丸の復原された建物から当時の雰囲気を感じることができます。
点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。
概略
根城は、南北朝時代の1334年(建武元年)、南部師行(なんぶもろゆき)によって築城されました。以来、戦国時代までの約300年間にわたって、八戸南部氏の本拠とされた城です。1627年(寛永4年)、八戸氏は移封となり、根城は廃城となっています。
馬淵川南岸の河岸段丘上に築かれており、本丸、中館、東善寺館などの7つほどの曲輪から形成されていると言われています。現在、本丸には主殿や鍛治工房、馬屋、納屋などの建物が安土桃山時代の姿で忠実に復原されています。史跡の主要部分は「史跡 根城の広場」として公園化されています。
別名 | – |
城地種類 | 平城 |
築城年代 | 建武元年(1334年) |
築城主 | 南部師行 |
主な城主 | 南部氏 |
文化財史跡区分 | 国指定史跡 |
見どころ
縄張

旧八戸城東門付近にあった総合案内板です。本丸、中館、東善寺館等の曲輪が連なる連郭式の城です。

こちらは本丸にあった復元予想図です。堀に区切られた曲輪が7つ(8つ?)ほどで構成されています。
旧八戸城東門

根城の駐車場、八戸市博物館から根城へ入る入り口のような所に、旧八戸城東門があります。なかなか趣きのある門です。八戸城の東門で1857年(安政6年)に大風で倒れ、建て替えられたようです。元を辿ると根城にあった門を八戸城に移したと言われています。つまり、元々根城の門だっというわけですね。元の城に戻ってきたということになると思います。

旧八戸城東門の近く、八戸市博物館の前には、南部師行の騎馬像があります。けっこうカッコいいです。伊達政宗や最上義光といった戦国時代の武将の騎馬像は割とよく見かけますが、中世の甲冑姿の武将の騎馬像はあまり見たことがありません。見事な出来栄えだと思います。
東善寺館

旧八戸城東門をくぐって城内に入ると、両脇から堀が延びています。入って右側(北側)の堀です。写真左側が東善寺館跡で、右側が八戸市博物館側です。

旧八戸城東門を入って左側(南側)の堀はこんな感じです。

付近に堀跡の説明板がありました。今見るとそれほど深くないですが、説明板の写真のように、往時はかなり深いV字形の堀だったことがわかります。

旧八戸城東門から10m程まっすぐ進んだ右側に東善寺館跡があります。周囲より高くなっていて、周りは堀が巡っており、1つの曲輪を形成していたと思われます。

真ん中の高くなっている部分(ブルーシートっぽいものがある所)が東善寺館跡です。東善寺館の西側はけっこう広い空間になっています。
中館
東善寺館と中館の間の曲輪

東善寺館を過ぎて中館に向かう途中にかなり広い空間があります。地図等を調べてみても名前がわかりませんでした。

だいぶ浅いですが、堀跡っぽい地形もありますので、何らかの曲輪であったものと想像します。(全く違うかもしれませんが・・)

さらに枝垂れ桜と生垣に囲まれた三角形の空間もありました。それなりに広いです。ここも何らかの曲輪であったと思われますが、名前は付いていなかったのか伝わってないのか、ちょっと調べてみた感じではわかりませんでした。

中館の外側(北東側)に護摩堂の跡を示す石碑が立っていました。これも地図等には載っていませんでした。いつの頃なのかわかりませんが、昔は仏堂がこのあたりにあったということだと思います。
中館の堀(東側)

東善寺館の方から通路に沿って歩いていくと堀があり、堀を渡ると中館跡です。こちらは堀の上の通路(土橋?)から南側を見た時の堀です。

こちらは通路から北側を見た時の堀です。堀幅は結構ある感じですが、深さはそれほどでもないように感じます。

付近に説明板があります。これによると現在の堀は浅くなってますが、往時はもっと深く、水も湧くことから堀底には水が流れていたとも考えられているようです。この堀幅で水堀だとかなり防御力高いですね。

堀に沿って北の方へ行き、堀を挟んで中館を見上げた所の写真です。往時の堀の深さを考えると高さのある曲輪だと思われます。本丸に次いで防御力が高そうな曲輪です。

さらに堀に沿って外側を周り、中館の北東端を見上げた写真です。この方面からは攻められそうにありません。
中館

堀を渡って中館跡に入ります。なかなか広い空間です。

中館跡の中心地あたりに屋外模型があります。こちらは城の全域を表しています。

こちらは本丸だけを表した模型です。

桜が綺麗ですが、その向こうに本丸が見えます。柵に囲まれた曲輪が本丸です。

本丸から見た中館跡です。生垣に囲まれた領域が中館です。本丸と中館の間には堀があります。
本丸
本丸の堀/北門/東門

本丸の門より南側の堀です。右側の曲輪が本丸です。きっと往時はもっと深かったんでしょう。

中館を出て、本丸の門へと向かいます。本丸と中館の間の堀底だったのかもしれません。右側が中館で、正面に見えている柵に囲まれている所が本丸です。

堀にかかっている橋を渡って本丸に入ります。左が本丸、右が中館です。このあたりの堀が根城で最も幅が広く、深さもありそうな感じです。

橋を渡ると左右に道が分かれています。右に行くと北門です。ただ、北門は常に閉まっているような感じです。

左に行き、坂道を登って行くと東門です。こちらが今は正式な本丸へのルートのようです。
本丸跡

東門を入ると料金所があります。ここからは有料エリアになります。

本丸跡の案内図がありました。本丸は南部家の当主やその家族が住んでいた最も重要な曲輪です。本丸には約400棟の建物跡が発見され、そのうち安土桃山時代に相当する建物について、復原整備が行われています。

東門から入ると左手側に進むように、順路の案内があります。左に見えているのは納屋です。
納屋/奥御殿跡

東門から入って正面には復原された納屋があります。

出入口は小さいです。屈まないと中に入れません。米や味噌が保管されたと考えられています。

納屋の先には奥御殿跡があります。建物までは復原されていませんが、柱跡がわかるように木の柱が立てられています。当主の家族が住んでいたようです。
井戸跡/野鍛冶場

奥御殿跡の先、本丸の南端にある井戸跡です。井戸までちゃんと復原されています。地図を見る限り、本丸には3つか4つほど井戸があったようです。

本丸の南西端には野鍛冶場も復原されています。屋外の鍛冶場で、壊れた鉄鍋や銅銭などを溶かす作業をしていたようです。
西門/祭壇跡

本丸の西の端には西門があります。

おそらく、一般の人は通れないと思いますが、西門を出ると本丸の西側の堀に降りていく感じになります。

西門付近に祭壇跡があります。土が高く盛り上がっています。説明板が「祭壇跡?」となっているように、神様が祀られた場所だと考えられています。
中馬屋/上馬屋

本丸の北側には中馬屋(なかのうまや)が復原されています。この建物は来客の馬を繋いでおく所だったようです。復原されているとはいえ、なかなか見ない建物ですね。興味深いです。

こちらは上馬屋(かみのうまや)です。当主の馬を繋いでいた所です。主殿の北側にあります。馬も割とリアルに再現されています。

中馬屋の裏には大きなイチョウの木があります。直径4m、高さ20m以上あるようで、築城当時からのものと伝わっているようです。八戸市の保存樹木となっているようです。
主殿

主殿は本丸の真ん中あたりにあります。当主が特別な来客と会ったり、様々な儀式を行った建物です。最も大きく、且つ重要な建物であったと思われます。

主殿は内部も忠実に復原されているようです。こちらは詰ノ間で、来客の応対をする人がいる部屋だったようです。

こちらはニノ間です。広間に次ぐ部屋だったようです。家臣?のような武士が控えていますね。

二ノ間の隣が広間で、一番奥にあり、最も格式が高い部屋です。これは正月の儀式の様子を再現しているようです。
二重土塁跡

本丸の西側は二重の土塁と堀があり、さらに西には西の沢があり、城の西側の防御となっていたようです。右側に見えている柵の内側が本丸です。

根城の中で最も深い堀で、本丸の切岸(?)の高さも一番高いように見えました。
アクセス
最寄りの駅はJR八戸駅ですが、駅から歩くとかなりの距離です。
バス:八戸市営バス、南部バス「根城」下車
車の場合、無料駐車場があります。城のすぐ脇にありますので、車がおすすめです。
スタンプ設置場所
根城の日本100名城スタンプは、下記に設置されています。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)
・八戸市博物館 正面入口横(屋外)
・史跡 根城の広場 本丸窓口
開館時間、休館日にご注意ください。本丸窓口は開場時間のみ押印できるようです。