八代城

登城記

続日本100名城
所在地:熊本県八代市

登城日:2025年4月

 総石垣の本丸、東口と北口の虎口、連結式の大天守と小天守の跡は見応え十分です。石垣の上をじっくり散策しながら巡ってみると楽しいです。

魅力度ポイント

 江戸時代になって築城された城だけあって本丸はほぼ全て石垣で構築されています。大天守、小天守の連結式の天守跡は必見です。

点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。

概略

 1619年(元和5年)の大地震で倒壊した麦島城に代わり、麦島対岸に位置する松江村に加藤正方(加藤清正、忠広に仕えた筆頭家老)が新たに築城した城。1622年(元和8年)に竣工した。1632年(寛永9年)に加藤氏の改易によって熊本に細川氏が入ると、八代城には細川忠興(三斎)が入城する。細川忠興死後、細川家筆頭家老の松井氏が八代城主となり、1870年(明治3年)の廃城まで松井氏が在城する。

 八代城は、輪郭式の平城で、本丸の北西端には大天守、小天守がある。本丸南東には二の丸、南西は三の丸、北西に北の丸、さらに北に出丸が配置され、それぞれ水堀で区切られていた。さらにその外側には外堀があった。城の規模は南北811m 東西1,477mとなっているようです。

 しかし残念ながら、現在は水堀で囲まれた本丸の区画のみが残っているような状態で、他の曲輪はほとんどが市街地化されています。北の丸の一部や二ノ丸の石垣がわずかながら残っているようです。

別名松江城、白鷺城
城地種類平城
築城年代元和8年(1622年)   
築城主加藤正方
主な城主加藤氏、細川氏、松井氏   
文化財史跡区分 国指定史跡

見どころ

縄張

八代城の模型図

 本丸の模型図が南側の堀を渡る橋のそばにありました。往時は大天守とそれに連結した小天守があり、さらに月見櫓、宝形櫓、三十間櫓、磨櫓、三階櫓、北九間櫓の櫓群が塁線を固めていたようです。江戸時代になって築城された城だけに、かなりの建造物があって、なかなか壮大な本丸だったと想像されます。

本丸正門(本丸東口)

本丸正門(東口)

 八代城の正門は本丸東側にあるこの入り口とされています。水堀を渡る橋が架けられています。入り口は桝形虎口になっています。表枡形虎口と呼ばれているようです。

本丸東口の水堀と石垣

 本丸東口の枡形虎口の北東の隅の石垣です。堀も石垣もかなり立派ですね。

本丸正門(東口)の石垣

 石垣の高さが手前と奥で違っています。どの城でも入り口の石垣の高さは大体同じであるイメージがあります。あんまり見たことない作りのような気がします。

本丸正門(東口)を正面から見る

 本丸東口の入り口には欄干橋が架けられており、往時は木造だったようです。今はコンクリート製ですね。橋を渡るとすぐに高麗門があり、高麗門を入って虎口内を右に曲がると頬当御門があったようです。かなり防御力高いですね。

本丸正門(東口)の南側の磨櫓跡

 本丸東口の南側(向かって左側)には磨櫓があったそうです。その磨櫓が建っていた石垣です。

本丸正門(東口)の中

 欄干橋を渡ってすぐの高麗門をあった所を過ぎたあたりです。背の低い石垣の方を見ています。

本丸正門(東口)の枡形虎口の内部

 本丸東口の虎口内部に入ったところです。右手に曲がっていくと頬当御門があり、本丸内部へ入って行くことができます。思ってたよりかなり広い虎口です。 

本丸搦手(本丸北口)

本丸搦手(北口)

 八代城の本丸北側にある出入口です。埋門と呼ばれていたようです。東口に比べるとだいぶ狭いです。

本丸搦手(北口)の東側(向かって左側)の水堀と石垣

 本丸北口も東口と同じく手前の石垣の方が低くなっています。東側に続く石垣の先端(北東隅)には三階櫓があったようです。

本丸搦手(北口)の埋門跡

 埋門を入ると虎口になっています。少し長方形のような形の虎口になっているようです。北口を入って突き当たった石垣の上に唐人櫓があり、左手に曲がると本丸に入ることができます。虎口も東口に比べると少し狭い感じです。

本丸搦手(北口)の唐人櫓跡の石垣

 北口から入って突き当てる唐人櫓跡の石垣です。左に入っていくと本丸内部です。

大天守跡から見る唐人櫓跡 その1

 写真の真ん中が唐人櫓跡で、大天守台跡から直角に真っすぐ東に伸びている感じです。左側の木で覆われている所が本丸北口の虎口です。本丸へ直進できないように唐人櫓が立ち塞がっているかのようです。

大天守跡から見る唐人櫓跡 その2

 北口から見て裏側にあたる本丸内部からは階段があって登れるようになってました。

本丸

本丸南口
本丸南側の水堀と橋

 本丸南側には橋が架かっていて、本丸に入れるようになっています。この橋と南口のような入り口は、明治時代に本丸内に創建された八代宮の参道として、石垣を取り壊して造られたそうです。ですので、元々の本丸への出入口は東口と北口の2つのみです。

本丸南側の橋と参道

 確かに言われてみれば八代宮へ真っ直ぐなちょうど良い参道になっています。石垣だけを見ると元々途切れずに繋がっていたとは思えないですね。

西側から見た本丸南側の橋と参道

 ただ、東口も北口もしっかりとした虎口になっていますので、そこと比べるとこちらは虎口になっておらず、やはり単に石垣を切って開けただけの感はあります。

本丸南側の石垣と水堀

 本丸南側の橋から見た石垣です。(本丸に向かって右側)

八代宮
八代宮の正面

 南口を真っ直ぐ入っていくと八代宮があります。後醍醐天皇の皇子で、征西将軍としてこの地で足利軍と戦った懐良親王が主祭神として祀られているようです。

西側から見た八代宮

 かなり立派で大きい神社です。本丸内のほぼ中央に位置しており、本丸の大部分が八代宮の境内であるように見えました

月見櫓跡
水堀の外(南側)から見た月見櫓跡

 本丸の南西隅には月見櫓があったようです。

三階櫓跡
三階櫓跡と石垣

 本丸の水堀の外側から見た三階櫓跡です。本丸の鬼門にあたる北東隅に設けられていた櫓です。

三階櫓を説明するくまモン

 熊本県だけに「くまモン」がいました!他にも所々に「くまモン」が立ってました。大活躍ですね。

能舞台跡
能舞台跡にある相撲の土俵

 本丸の南東隅の割と広い一画に相撲場がありました。往時はこのあたりに能舞台があったようです。

石垣上の散策
石垣の上へ登る道

 本丸を囲んでいる石垣のほぼ全てに登れるようになっています。写真のような坂道や階段が備わっていました。

本丸西側の石垣の上

 石垣の上に登って、水堀や石垣や本丸内を見たり石垣の高さを実感できたりするので、八代城本丸の石垣は是非全て登って歩いてみると良いと思います。

本丸小天守跡から見る西側の石垣と堀

 石垣を下から見るのと上から見るのとでは感じ方が違います。違う角度から見てみるといいと思います。

大天守/小天守

小天守跡
小天守跡へ続く道(石垣の上)

 小天守跡は今だと石垣の上から渡っていくしか行く方法がないと思われます。本丸西側の石垣の上に登って、北西隅の小天守跡を目指します。写真に見えているつき当たりの石垣が小天守台跡です。そして、大天守跡は小天守を通らないと行くことができない作りになっています。

小天守跡へ登る石段

 小天守跡へ登る石段です。すこし崩れているように見えます。気をつけて登ります。

小天守跡

 石段を登りきったところが小天守跡です。2層3階の建築だったようです。

小天守跡から本丸内部を見る

 往時はおそらく本丸内側から小天守へ登ることができたと思われます。登り口のような跡がありました。

大天守跡から小天守跡を見る

 下の車がある所が本丸内部ですが、そこから登ってこられそうな入り口があります。ただ、今は立ち入り禁止になっているようです。元々階段があったのかわかりませんが、坂になっています。そこを登ったとしても石垣に囲まれているので上まで登れません。当時は階段でもあったのでしょうか。

小天守跡から大天守方面を見る

 向こうに見えているのが大天守の石垣です。今は石垣が残るだけですが、その手前に渡櫓があって小天守と連結されていたようです。

本丸内から見た渡櫓跡

 本丸内にて、石垣の下から見ると、左が小天守跡で、右が大天守跡です。その間の石垣の上に渡櫓があって、それぞれの天守を連結していたようです。

大天守跡
大天守跡の入り口

 小天守跡から渡櫓跡を通る大天守跡の入り口とその石垣が見えてきます。

大天守跡の内部

 大天守跡の内部に入ると当然ながら周りは石垣に囲まれています。大天守は4層5階で地下1階がありました。地下にあたる部分がここです。なかなか広いです。
 天守自体は1672年(寛文12年)の落雷によって焼失しました。その後、一度も再建されることはなかったようです。この広さの基盤に4階建ての天守が建っていたということなので、かなり立派な天守だったと想像されます。

大天守の石垣に登れる階段(東側)

 大天守跡の内部に入って右側(東側)の階段です。石垣の上に登れます。

大天守跡の石垣に登れる階段(西側)

 こちらは左側(西側)の階段です。どちらの階段で登っても石垣を一周することができます。

大天守跡の石垣上から見る(西側から)

 登ってみると大きさがさらによくわかります。かなり壮観だったでしょうね。

大天守跡の石垣上から見る(北東隅から)

 石垣上部の幅も結構広いです。

大天守跡の石垣上にある石碑

 北西隅には石碑がありました。天皇陛下が来られたということだと思います。

大天守跡の石垣の上から見る水堀(西側)

 大天守は北西隅にあるので、西と北は水堀に面しています。大天守石垣は八代城で最も高い石垣になっています。

渡櫓跡から見る大天守石垣

 勾配が美しいです。

本丸北側から見る大天守跡の石垣

 水堀の向こう側からも存在感のある石垣を感じることができます。

アクセス

公共交通機関だと行きづらいです。JR八代駅からバスのようです。車でいくのがおすすめです。

車の場合、八代城の本丸の堀の外側に無料駐車場がありますので、こちらがオススメです。本丸東口まですぐの場所です。

スタンプ設置場所

 八代城の続日本100名城スタンプは、下記に設置されています。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)

八代市民族伝統芸能伝承館(お祭りでんでん館)

・開館時間、休館日にご注意ください。
・「八代市立博物館未来の森ミュージアム」から「お祭りでんでん館」に設置場所が移動になったようです。

八代市民族伝統芸能伝承館(お祭りでんでん館)

 お祭りでんでん館は八代城のすぐ隣にあります

休館日の月曜日に行きましたが入り口付近に置いてありました

100名城スタンプ
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