続日本100名城
所在地:鳥取県米子市
登城日:2024年9月
建造物は残っていないが、かつて2つの天守があったという本丸の天守台石垣や、二の丸などの主要な曲輪の石垣もよく残っています。山頂からの絶景が素晴らしい平山城です。
魅力度ポイント
麓から見ても真近で見ても本丸の石垣は素晴らしい。山頂からの絶景は必見です。
点数はあくまでも個人的な見解です。魅力度ポイントの詳細については以下ご参照ください。
概略
米子城は応仁・文明の乱(1467〜77年)の頃に、山名氏が築いたことに始まると伝えられています。戦国時代、毛利氏が山陰を平定すると、領主となった吉川広家は湊山に石垣を備える近世城郭を築城しました。関ヶ原の戦い後、吉川広家が岩国へ移封されると、代わって入った中村一忠が城を建造して、1602年(慶長7年)頃、米子城は完成したといわれています。
その後、中村一忠が急死して中村氏が断絶すると、加藤貞泰が入り、続いて池田氏、さらに池田氏の家老である荒尾氏が城代となって11代続き、明治に至っています。1873年(明治6年)には、米子城の建物の大半は売られて、数年後に取り壊されています。
米子城は、標高約90mの湊山山頂に本丸を置き、出丸として北西の丸山に内膳丸、東の飯山に采女丸(うねめまる)を置き、山麓に二の丸、その下には三の丸を配置し、これらを中海から水を引き込んだ二重の堀で囲んでいました。
2006年に、本丸、二の丸などが国史跡に指定され、2021年には三の丸の一部にあたる「旧湊山球場」敷地が国指定史跡に追加されています。2024年、三の丸にガイダンス施設ができるなど、保存整備が進んでいます。
別名 | 湊山金城、久米城 |
城地種類 | 平山城 |
築城年代 | 応仁・文明年間(1467〜1477年頃) |
築城主 | 山名氏 |
主な城主 | 山名氏、吉川氏、中村氏、池田氏など |
文化財史跡区分 | 国指定史跡 |
見どころ
二の丸
二の丸石垣
湊山の北東側の麓に二段で曲輪になっている所が二の丸で、三の丸駐車場から石垣がよく見えます。
三の丸駐車場あたりから城を見ると、山裾の二の丸の石垣、山頂の天守台の石垣が両方見えます。麓と山頂の石垣が同時に見られる城はいいですね!テンション上がります!
枡形虎口
三の丸駐車場側から二の丸の枡形虎口の石垣を見ています。枡形の左側(東側)から入っていきます。
枡形虎口に入った所です。入って左の階段を進んでいくと本丸につながっています。
枡形は石垣に囲まれていてかなり広いです。東西約25.4m、南北約22.7mもあるようです。
枡形は広いので、全景がなかなか写真に収まらないですが、階段登ったあたりから振り返って見てみるとこんな感じです。
旧小原家長屋門
枡形の階段を登って進んでいくと旧小原家長屋門があります。米子市内の小原家にあったものが昭和28年に寄贈されてここに移築されているようです。江戸時代中期の建築で市内に現存する唯一の武家建築として市指定の有形文化財になっています。米子城とは直接関係はないようですが、貴重な建物ですね。
登り石垣
二の丸を過ぎて山道を登っていくと、本丸に行く途中の山腹で登り石垣を見ることができます。
夏の終わりで雑草が繁茂していたのか、登り石垣をはっきりと見ることが難しかったです。ただ、登り石垣は全国的には珍しく、他には松山城、彦根城、洲本城などに残っています。朝鮮出兵で帰国した大名が登り石垣を用いたとされているようです。一見の価値ありです。
内膳丸
二の丸から登ってくると分かれ道があり、片方は本丸、もう片方は内膳丸に通じています。内膳丸の入口付近にも石垣がありました。
湊山の北西の丸山に築かれた出丸で、中村一忠の家老横田内膳が構築したため「内膳丸」と呼ばれているようです。一の段と二の段から構成されています。現在、二の段の先端付近に東屋(写真奥の建物)があります。
内膳丸から振り返って本丸の方を見ると、天守台の石垣も見えます!写真ではちょっとわかりにくいかもしれませんが、はっきり見えました。
本丸天守台
山道を登っていくと番所跡に出るあたりで視界が開けて天守台が目に飛び込んできます。急に目の前に天守台石垣が現れるような感じで迫力があります。
本丸の石垣が二段(三段?)になっていて、一番上に天守台石垣が載っているような形になっています。やっぱり山頂に本丸石垣がある景色はいいですね!ずっと見ていられます。
本丸
番所跡
二の丸から本丸へ登っていくと、最初にたどり着くのが番所跡です。本丸の番所があった場所です。
番所跡から見る景色も最高です。本丸天守台を一望できます。左に見えているのは四重櫓台です。
米子市街の方を見ると、下に三の丸跡が見えます。ここの番所跡から二の丸の枡形虎口に向かって竪堀があるということですが、この日は木草が繁茂しているせいか確認はできませんでした(普段もここからは見えないのかもしれません)。
四重櫓台
番所跡から見渡すと天守台の左に四重櫓台が見えます。
真下からだと写真に収まらないくらい高い石垣です。1591年(天正19年)に城主となった吉川広家が建てた初代の天守であると言われており、中村一忠が今の天守台に天守を建てた後には「四重櫓」と呼んで存続させたと伝わっています。古天守や副天守とも呼ばれたようです。
鉄門跡(くろがねもんあと)
番所跡から四重櫓台の下を右に周って登っていくと鉄門跡があります。
東側は四重櫓台の石垣で、中は枡形になっていて、天守方面に進むには左に曲がる必要があります。さらに鉄板が張られた門だったということですから、かなり強固に守られた出入口です。
水手御門跡(みずのてごもんあと)
本丸の西側にあり、深浦側を守る門だったと言われています。夏なので、雑草がすごいですね…
水手郭
水手御門から入ったところにある曲輪が水手郭です。本丸との間に石垣があります。
本丸と水手郭の間の石垣から想像するに、おそらく門も設けられていたと思われます。
本丸北側の石垣
水手郭から遠見櫓跡へ向かう場合、本丸北西側の石垣を右手に見ながら進みます。
遠見櫓跡(とおみやぐらあと)
写真では木や草が繁茂しているのでわかりにくいですが、中央に写っている曲輪が遠見櫓跡です。本丸北側から突き出た曲輪(遠見郭)になっています。
写真左側の平たい場所が遠見櫓跡で、真ん中に見えているのが内膳丸です。登り石垣は内膳丸からこの遠見櫓にかけて築かれています。
遠見櫓跡から振り返って見ると本丸と天守台の石垣が見えます。
本丸(天守台)からの眺望
本丸天守台まで行くとそこから見える景色は絶景です!360度のパノラマとはこのことです。市街地、海、山が一望できます。北は市街地、その先には島根半島の山脈が日本海に落ち込む所まで見えます。
西側は中海が一望できます。
東は四重櫓台の先に山並みが見え、大山も見えます(この日は残念ながらちょっと雲がかかってますが…)。最近は「ダイヤモンド大山」が人気のようですね。たしかにここから見る大山頂上から昇る朝日は最高でしょうね。
北東の下の方を見ると、すぐ下に番所跡、そのもっと下の方に三の丸跡を眺めることができます。
天守台はかなり広く感じます。礎石もよく見れます。
余談ですが、天守台には矢穴の跡がある石が幾つかありました。
おすすめ登城ルート
- 三の丸駐車場三の丸駐車場から出発
- 二の丸枡形虎口二の丸表御門跡から二の丸枡形虎口に入り、左の階段を登る
- 旧小原家長屋門旧小原家長屋門を通って二の丸の奥へ
- 二の丸跡にあるテニスコートテニスコートを右手に見ながら先に進む
- 山道を登る御用井戸跡を過ぎて左側にある山道に入る
- 分かれ道を右(内膳丸方面)へしばらく登っていくと突き当たりに出るので右へ
- 登り石垣登り石垣が左側にある
- 内膳丸内膳丸を見たら来た道を戻り、さっきの分かれ道を真っ直ぐ進む
- 本丸 番所跡本丸の番所跡に出る
- 番所跡→四重櫓台→鉄門跡→天守台(頂上)左回りで天守台まで登る
- 天守台(頂上)→水手郭→遠見櫓跡→番所跡天守台から水手郭を右に曲がり番所跡まで下りる
- 下山三の丸駐車場まで来た道を戻る
アクセス
JR米子駅より徒歩約15分
無料駐車場は三の丸駐車場の他に湊山公園駐車場があるようですが、二の丸に近いので、こちらの駐車場がお勧めです。また、駐車場に隣接している三の丸番所には100名城スタンプが設置されています。
スタンプ設置場所
米子城の続日本100名城スタンプは、下記に設置されています。(最新情報や詳細は公式サイトにてご確認お願いします。)
・米子市立山陰歴史館
・米子城三の丸番所 ※三の丸駐車場に隣接
・天守台東屋でのスタンプ設置は廃止されました(2020年8月)。
・米子市立山陰歴史館は開館時間と休館日がありますが、玄関前に設置されていますので終日押印が可能なようです。
・三の丸番所は開館時間があるようです。(8:30〜17:00)
米子市立山陰歴史館。玄関前にスタンプが設置されていました。
三の丸番所は、2024年にオープンしたガイダンス施設です。三の丸駐車場に隣接しています。